バジルは引っ越しました http://sfrenatezze.com/wordpress sfrenatezze.com のブログ Thu, 10 Nov 2016 14:12:11 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.6.1 お知らせ2点 http://blog.sfrenatezze.com/archives/936 http://blog.sfrenatezze.com/archives/936#respond Sun, 06 Nov 2016 07:49:47 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=936 blog表示の高速化のため、箇別記事のURL(パーマリンク)が変更されました。

検索エンジンなどから個別ページへアクセスした方で、トップページが表示されている(この記事が見えている)方は、現在ブラウザのアドレスバーに表示されているアドレスを、以下のように変更してください。

http://blog.sfrenatezze.com/?p=nnn

http://blog.sfrenatezze.com/archives/nnn

また、当方でレンタルしているサーバーのPHPなどの処理が著しく遅く、何かと不便なため、このblogは更新を停止します。

今後の更新は、はてなブログで行います。

http://mubouan.hatenablog.com/

StaticPress導入について

でまあ、こうなったのはStaticPressというWordpressプラグインを導入したためだった。

うちは、WordPressのパーマリンクを、?p=nnnのクエリを渡す形のアドレスに設定していたのだけど、StaticPressだとそれは使えなかった。まあ、PHPの動的処理をさせないためのプラグインなのだから、当たり前といえばそう。

よって仕方なく、下記の形にパーマリンク形式を変更した。

StaticPress自体は、まったく期待通りの効果を発揮するプラグインで、満足度は非常に高い。

うちの借りているXREAのs21サーバーは、静的HTMLは大体いつでも素早く表示するけれども、PHPなどをかませると如実に重い。5秒くらい平気で待たせるような有様で、PHPを飛ばせるStaticPressでの表示高速化は非常に大きかった。

ただ惜しむらくは、サーバーのキャパが足りなくて、StaticPressの再構築に時間がかかりすぎる。かなりサーバーの空いている時間でないとエラーが続いてまともに実行できない。

そういうわけで、はてなblogへの移行を決定。

パーマリンク変更について

パーマリンクが変わってしまうことについては、.htaccessのRedirectかmod_rewriteで対応できんもんかなあ、と色々試したのだけど、なんかうまくいかない。

RewriteEngine on
RewriteCond %{QUERY_STRING} ^p=(.*)$
RewriteRule .* /archives/%1/ [R=301,L,QSD]
RewriteEngine off

私の調べた範囲では、こんな感じの記述で、?p=nnn形式を/archives/nnnにリダイレクトしてくれるかと思ったのだけど、どうにも上手く行かない。

多分RewriteCondでp=nnnを取得することはできても、その次のRewriteRuleの何が気に入らないのか、500エラーを吐いてくる。

そもそもどこでどんなエラー出してそうなってるのかを追えなくて、デバッグもしづらくて仕方ない。時間ばかりかかって結局上手くいかなかった。

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smc PENTAX DA50-200mm F4-5.6 EDレポ http://blog.sfrenatezze.com/archives/917 http://blog.sfrenatezze.com/archives/917#respond Sat, 05 Nov 2016 03:58:27 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=917 前々から、うちのKマウントシステムに望遠レンズがすっぽ抜けていて、しかし使用頻度からいって別に無理に買わなくていいかなあ、と思いながら時間が過ぎていた。

昔はF70-200mm F4-5.6とか古いフィルム時代の望遠ズームをそのまま使ったりしていた。

しかし、帰阪して久しぶりに梅田の中古カメラ屋を散策して、立ち寄ったカメラのナニワに、DA50-200mm F4-5.6EDの出物あり。

5800円で、DA-Lじゃない(ただしWRでもない)やつが、フードもついてるのは安かった。

外装や動作には特に問題はないようだったけど、しかし買ってからよく見ると、おそらく前から4枚目の玉あたりに、表面に何やらコーティングが溶けたかのようなムラが見える。貼り合わせのある群なので、バルサム切れとかかもしれない。

レンズについて

サイズ・重量

望遠ズームレンズは、がんばらないものならだいぶ安く作れるようで、PENTAX純正以外にもシグマ・タムロンの安ズームがある。

安くあげるなら、シグマの70-300mmF4-5.6があり、長くて明るさも変わらない。

そこでDA50-200mmのアドバンテージというと、小さくて軽い。PENTAX純正の55-300mmも含め、他の安望遠はみな450~500gくらいあるが、DA50-200mmは285g。

直径も小さめの69mm、長さは他が120mmくらいのところ、これは79.5mm。

PENTAXの小柄なボディと合わせ、コンパクトなシステムにするには何より強い。

最短撮影距離

私が撮影する上で望遠ズームなどを持ち出すシーンというのは、水族館で魚を撮る時が多い。なので、ある程度最短撮影距離が短くないと困る。

DA50-200mmは1.1m。最新のDA55-300mm F4.5-6.3 ED PLM WR REは最短が0.95mまで短くなっているけれど、DA55-300mm F4-5.8 ED WRの方は1.4m。

水族館だとこの30cm差が結構影響しちゃったりしがちで。

テレ端での最大撮影倍率でいえば、DA50-200mmより最短の長いDA55-300mmF4-5.8のほうが少し大きいのだけど、ズームレンズの最短撮影距離はズーム全域で同じものだから、別の話。使用感も異なってくる。

まあ、新しいDA55-300mmF4.5-6.3が0.95mともっと寄れる。随分暗いF値以外は、寄れるしAF速いし画質向上してるとモノは良いみたいだけど、しかし値段がまだ6万円近い。6万円だと他のレンズ買うよなあっていう。

ピントリング

実に180度も回転角がある。超音波モーターでもないので、かなり大きく動く。迷うと2秒くらいかかるので、結構遅くもある。

まあその分、クイックシフトフォーカスでの微調整はやりやすいかも。ちょっとトルク感……というか摩擦感があるけど、中古だからヤレてる部分なのか、新品からそうなのかは不明。

AF作動音は結構に盛大。大きな玉が3枚入った前群を繰り出してAFするので、わりと負荷は大きめなのかも。K-70だとAFモーターがパワフルだから、辛気臭いと思うようなことはないけれど。

フィルタ枠は回転しないが、全長は伸びる。無限遠が最短。

また、ちょくちょくAFが迷うこともある。無限遠や最短近くで撮影後、次に少しだけ違う距離のものに合わせに行くと、一度端から端まで往復することがよくある。望遠ズームって、わりと無限遠近くとか最短近くで使いがちだから、あまり迷われると鬱陶しいのだけど……

実写

この記事では、写真はすべてフルサイズでアップしたので、クリックすると撮って出しを見られる。

ホントはレンズ補正を切って試写するべきだったけど、忘れて入れたままにしちゃったのが大部分。切ってるのは切ったと明記したが、書いていなければレンズ補正全部有効。

DA50-200mm最短

200mm F7.1 最短近く

まずは最短撮影距離近くで。

やたらと寄れて当たり前のコンパクトデジカメとは違うので、やっぱり寄りきれないような気はしてしまうのだけども。

APS-Cで0.24倍とはいえ、200mmの長さではさすがに被写界深度が浅く、かなりピントはシビア。AFが合う合わない以前に、体がブレてピントが外れる。難しいなあ……

200mm F22 最短近く

200mm F22 最短近く

200mmを1.1m程度の距離で使うとなると、被写界深度の浅さはF8やそこらじゃ解決しない感じ。F22まで絞るとさすがにかなりまとまるが。

200mm F6.3 最短近く

200mm F6.3 最短近く

200mm F5.6

200mm F5.6

ボケが綺麗とはいえない感じかな……というか、だいぶ良くないな。そこまで贅沢言えるクラスの商品じゃないけれど。

50mm F4 レンズ補正オフ

50mm F4 無限遠 レンズ補正オフ

200mm F5.6 レンズ補正オフ

200mm F5.6 無限遠 レンズ補正オフ

このレンズのはっきりした弱点はというと、この周辺減光の多さ。ワイド端は端っこにくっきり出て、テレ端はかなり広い範囲に出る。

まあ、純正レンズの強みで、これはデジタル補正でフォローできてしまうのだけども、補正なしで使うなら、私の目でわからなくなるのはF9くらいかな……

200mm F9 レンズ補正なし

200mm F9 無限遠 レンズ補正なし

上と同じようなのを、F9で。ほぼ周辺減光は消えている。解像感もよくなっている。

でもテレ端に関しては、開放がやや甘いといっても全体的に均質に軽く甘い感じで、違和感が出るような悪さではない感じ。絞ったらブレそうなら開放で使える。

50mm F8

50mm F8

問題は広角端で、四隅にだいぶ流れが見える。少し絞ってもあまり解消せず、撮影条件によらず出ちゃってる感じ。像面湾曲かなんかかな。私の個体だと左上の流れが大きいっぽいので、偏心してるっぽくもある。

50mm F8

50mm F8

しかしながら、ある程度絞っての中央近くだと結構な解像力を見せる。

細い縦線のある建物を撮ったらモアレのオンパレードみたいなことになったけれど、十分解像してるからこそモアレが出る、という見方もできるかと。

DA50-200mm F4-5.6EDの発売は2006年中頃だから、当時のボディはまだ600万画素の*istDS2が最上位。1020万画素のK10D発売直前ではあるし、当時DAレンズ唯一の望遠ズームだったから、K10Dに耐える解像度は見込んで開発してると思うけれど、その時代のものが2400万画素のK-70でコレだけ働けば上等かと思う。

これはボディ側の話だろうけど、真ん中の窓の上下、影のところに出てるアーティファクトがちょっと気になる。被写体の縞模様と画素ピッチが合ってしまって、かつ光量少ない影だからノイズが出て、さらにシャドー補正とかのデジタル処理もぶつかって……とか、限定的な条件のものとは思うのだけど。

サンプルがないけれど、フードいらないくらい逆光に強いみたい。太陽に向かって、いかにも妨害されそうなカットをフード外して撮ってみたけど、フード付きと差が出なかった。特定条件で出る可能性はあるけれども、おそらく頼りになりそう。

フードのPH-RBB52は、逆付けするとズームレンズ付け根近くまで覆うので、操作不能に陥るという難点がある。といって普通に付けたままだと、深すぎてレンズカバーが付け外ししづらい。フードはなくてもいいレンズかもしれないなあ。

画質まとめ

  • 広角の四隅流れが良くない
  • 望遠の方が全体的に均質に写る感じ
  • 周辺減光は大きく、解決はF9まで絞るかデジタル補正
  • 広角の周辺以外はまずまず解像感よし、テレ端無限遠でもなかなか
  • 逆光には強そう

といったところだろうか。

あ、歪曲収差をチェックし忘れたけど、私もうこれはデジタル補正でいいや。

PENTAX機は、撮影プレビューでまず補正前の画像が表示され、すぐ補正後に入れ替わるのだけど、それで見る限り、DA17-70mmやDA21mmあたりと同じか小さめくらいの補正量でしかないように見えた。

サイズや価格とトレードオフになる部分は当然あるつもりだったけど、テレ側に関しては期待よりだいぶ良い感じだった。

広角側はまあ、四隅が気になるというのが問題だけれども、このレンズ付けて広角多用する状況になってるなら選択間違えてると思うべきか。

総まとめ

根本的には廉価ズームなので、何をやっても万全というようなモノではないけれども、小さく軽いから「荷物増やす気ないけど望遠ほしいときもあるかな、どうかな」みたいなよくある気分のときに便利。

K-01に、新しいほうのロークラス標準ズームDA 18-50mm F4-5.6DC WR REと、DA50-200mmF4-5.6の2本でダブルズーム、とすれば軽快かつ幅広くカバーできるかな。

あるいは、DA21mmF3.2Limited・DA40mmF2.8XSの2本と、望遠いるときのためにDA50-200mm、というのもいいか。

しかし、うちの標準ズームDA17-70mm F4AL[IF]SDMとの取り合わせだと、大きさ的に別クラスになっちゃって、あまりしっくりこない。まあDA17-70mmは単体で完結したようなレンズではあるんだけど。

古いレンズどうしでもあり、DA16-45mmF4ED ALと合わせるのも似合うかも。

 

 

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http://blog.sfrenatezze.com/archives/917/feed 0
Zenfone 2 ZE551MLとZE550MLの液晶は互換性なさそうです http://blog.sfrenatezze.com/archives/908 http://blog.sfrenatezze.com/archives/908#respond Mon, 24 Oct 2016 15:47:30 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=908 タイトルで、この記事の情報内容はほぼすべて出てしまうのだけど、そういうことでした。

Zenfone 2を6月に購入して、8月に落として画面割って、amazonからパネルモジュールを買って自分で修理した。

SKILIWAH® Asus Zenfone 2 ZE551ML専用 液晶パネル タッチパネルデジタイザー LCDスクリーン 修理用キット 工具セット付き ブラック SKILIWAH® Asus Zenfone 2 ZE551ML専用 液晶パネル タッチパネルデジタイザー LCDスクリーン 修理用キット 工具セット付き ブラック

しかしあいにく、交換時に割ったか元々ダメージがあったかわからんけれど、カバーガラスじゃなくて中の液晶に小さなヒビがあり、画面端に1cmほどの小さな液漏れが出ていた。

その後、シリコーンのソフトカバーかけて使っていたのだけど、9月にまた落として、カバーガラスは無事だったけど中の液晶の割れが大きく広がってしまった。

2ヶ月に一度5000円払わなきゃ維持できんスマホなのだろうか、と思いながらAmazonみてたら、ちょっと安いのがあったから頼んでみた。

clipboard01

Amazonでは在庫切れになってて、出品者が同じASINコードをZE550KL (Zenfone 2 Laser)のパネルに切り替えてしまってるので、注文履歴から。

で、ZE550MLって日本国内の販売がなかったはずで私もうっかりしてたんだけど、液晶をFullHDからHDに落とした廉価モデルだった。このパネルもHD液晶。

どうしたもんかと思ったけれど、マーケットプレイスだし、こっちのミスではあるし、中国に返送とかどうとかやるのも面倒だし、と、とりあえずそのまま取り付けてみた。

取り付け自体は、コネクターの位置・形状とも全く同じで、取り付け自体は問題なく可能。

ZE550MLとZE551MLの違いは、液晶の解像度とCPU・メモリーのバリエーションだけだし、これは互換性あるかなあ、と期待した。

しかし、画面に通電はしているようだけど、縦に太い白線が出るだけとか、何やらサイケな表示になるだけとか、さっぱり。

とりあえず、一旦割れた液晶に戻して(見づらいがかろうじて操作は可能)、ADBを使えるように設定をしなおした。

一旦FullHD液晶のまま、adb shell wm size 720×1280とadb shell wm density 320を送り込んで解像度を変えてみた。

そうすると、Zen Launcherは画面の画素数変えたらエラー出して、再起動してまたエラーを出すループにハマる。

一旦解像度設定を元に戻してから、Arrow Launcherを入れて、adbで解像度再設定。これで画面表示の様子が変わるのは確認できた。ただし、Back/Home/Menuボタンが効かなくなる現象もあった。

で、本体がHD解像度設定になった状態で、新しいHDパネルを取り付けてみたが、やはり表示異常は改善せず。

まあ、adbで行える解像度変更は、実パネルとズレた設定をしていても、適当にスケーリングして表示しちゃうのが本来の動作らしい。すると、解像度が違う液晶が接続されているだけなら、適当にスケーリングして何らかの表示はするっぽい。

ということは、今回表示できてないのは、adb設定よりローレベルなところが原因っぽい。まあハード的に非対応か、adbでは触れない段階での出力解像度設定可、そういったところで互換性がなかったんだろう。

そういうわけで、迂闊なる私の間違った買い物は、まったくの無駄となってしまったのでした。正直スマホのサイズにFullHDなんてオーバースペックだから、HDでいいだろと思ってるので、動けばむしろよかったんだけどなあ。

 

もしこれを見ている人で、画面を割ったZenfone 2 (ZE550ML)をお持ちの方があれば、

  • 送料着払いでよければ、交換用LCDモジュールを譲ります
  • 送料・返送費用そちらもちなら、私の方でLCD交換して返送します。
    ※ただし、結果は保証しませんし、失敗しても補償はしません。液晶だけ壊れていたものを、私がメインボードやカメラなど他の部分を壊した、ということもありえますが、それも補償できません。壊されるものと思ってダメ元で依頼してください。
  • もう要らないなら、割れたZE550MLを譲ってください。送料と薄謝は出ます。

上のようなことができるので、私までご一報ください。連絡先はこのblogのわかりにくくない場所に書いてあります。

(2016/11/6 行き先が決まりましたので譲渡しました)

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東京発信州経由大阪行 125ccスクーターと共に (3) http://blog.sfrenatezze.com/archives/895 http://blog.sfrenatezze.com/archives/895#respond Sat, 22 Oct 2016 03:36:16 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=895 さて、名古屋あたりの友人宅で昼前までゆっくりして出立。

大阪方面に向かうなら、まあ素直に行くなら名阪国道なのだけど、前に使ったことがある。私はいちいち違うルートで通りたいタイプ。

中継地点をGoogle mapsに打ち込むと、国道421号で石榑峠経由の案内が出た。かつては近畿屈指の酷道だったが、鈴鹿山脈を突き抜けるトンネルが開通して大幅に改善して快走路になったらしい。が、快走路ということは、坂道に弱すぎるアクシストリートだとまたトラックに煽られたりしそうだ。

国道306号鞍掛峠は、こちらは地図で見ても明らかにぐねぐねした道だけど、案の定、通れるほうが珍しいという道になってるそう。

今回は、鈴鹿を越えた先の都合がいいこともあり、旧鈴鹿スカイラインの国道477号でいくことにした。

湯の山温泉の脇を通り抜け、がらっがらの山道をまったりと登っていく。ほとんど全開でもまったりになるのだが。

なんで道端の何も施設もないところに駐車場があるんだろう、と不思議に思いながら通り過ぎたが、御在所岳に登山する人向けかな。

なにしろ空いていて、そこそこ道もスラロームで、まあ単車で走るには気持ちいいとこだったので、寄り道もせず写真も取らずに突っ走った。

ちょっと気になったのは、野洲川ダムの水がずいぶん少ないように見えた。東京だと先月雨じゃない日のほうが少ないくらいしつこく降水してたけど、鈴鹿は降らなかったのだろうか。

野洲川ダムを超えると、国道477号は琵琶湖の方へ向かっていくが、私の目的地は違う。県道9号線へ移って、青土ダムがちょっと観光呼べないかと色気出してる感じなのを見ながら通り過ぎ、国道1号東海道に入る。

水口城

水口城乾櫓

東海道が近江鉄道と交わる辺りに、水口城がある。

元々東海道沿いということもあり、自然と人が集まるこのあたりには街ができていた。秀吉も城を建ててさらに発展。家康時代には幕府直轄領とされ、東海道の宿駅に設定された。

そして、家光上洛にあたって、水口に宿館を作らせたのがこの水口城。合戦するつもりの城ではないのは、防御効果低そうな、ただ四角く堀を切って石垣を囲ったようなあっさりした本丸の感じからもわかる。

しかし、小堀遠州が張り切って作ったそうで、本丸の中には将軍の入る御殿が作られていた。二条城をモチーフにした凝った御殿だったとかで。

おそらく公民館があるあたりが二の丸らしくて、後に加藤明友(嘉明の孫)が入城して水口藩が開かれてからも、本丸はあくまで将軍のためのものとして管理。政務などは二の丸でやっていた。たしか宇都宮城もそんな話だったな。

なお、秀忠以降ずっと御殿は利用されることなく、加藤氏は幕府が終わるまで使いもしないお館を守り続けました。おーい……

四角の縄張りにちょろっと突起した出丸があるのだけど、現在の主な出入りはそこから。写真に写っているのもその出丸で、櫓も25年ほど前に復旧したもの。

この櫓が水口城資料館になっている。

え、出丸だけ? って思うのだけども、本丸の方は近くの水口高校がグラウンドに使ってるみたいで。

水口城櫓

では資料館に……と思いきや、まさかの木金休み。月曜休みか、さもなくばお役所仕事の土日休みがありがちなこの手の施設で、木金なんて変なタイミングで休んでると思わんわ。

意外な堅固な守りに阻まれ、すごすご撤退する私である。

水口城石垣

せっかくだから、小さい城だし本丸を一回りしてきた。写真は北西側石垣。これは当時モノらしい。

堀は、特に川などから取水してないのに水が枯れない不思議なお堀、ということで、水口城はこの水にちなんで碧水城とも呼ばれる。

今回は単車で来ているけれど、すぐ近くに近江鉄道の水口城南駅があるので、徒歩でのアクセスが辛い城でもない。

和束の玉露

さて、めし食いたい時間だったが、せっかく来たのに追い返された腹いせに、水口じゃなくて次の街で食おうと決断。

水口の南側、野洲川沿いの広いエリアに広々としたショッピングセンターがあり、なかなかの賑わいであったのだが。

この後、国道307に沿って信楽の方へ向かって、久しぶりに信楽焼でもちょっと見ていくかなあと思ったものの、なんだかどうもこう、国道沿いにある店がどれも微妙にピンと来なかったので通り過ぎてしまった。SKRと徒歩で来た時は趣あるところも多かったのだけど、国道沿いはちょっと俗化しすぎなような……

で、道は快走なのだが、信楽を過ぎると山奥モードで飲食店なんかなくなってしまった。

ナビに従って国道を離れて県道5号に入り、和束町に来たところで「茶房 竹の子」という店を発見して突入。

なお、Twitterで「宇治に入った」と書いてあるけど、宇治市に入ったわけではなかった。和束が宇治茶の産地なもので、宇治茶を出すなら宇治だろうと思いこんでいた。広義の宇治地域ではあるかもしれないが。

宇治茶の産地にまできてお茶も飲まずに帰るのはないので、玉露を頼んだ。

和束という地名はあまり知られていないが、宇治茶といって出荷されてるものはかなりの割合で和束産、また味も良いものだそう。現地では日本一といっていたが、これは主張なのか客観的事実があるのかわからない。

急須に茶葉、水指に熱湯が2杯分ほど、それに湯呑み。こういう時は一度湯呑みに出して温度を下げてから急須に。静岡で勉強してきたからわかる。俺は詳しいんだ。

で、飲んでみるとちょっと、緑茶と思って飲んだら、苦味渋みを完全にマスクしてしまうほど強烈な旨味。そこらで玉露っつって飲めるお茶は、ここまでの味じゃなかったぞ。

お茶の味成分は、根で合成した旨味成分のテアニンが葉の方に移って、日光を浴びて苦味成分のタンニンに変化する。なのでここ和束や、あるいは静岡だと天竜茶あたりは、山がちな土地の斜面で栽培するから日差しがあたりすぎず、旨味の勝った茶ができる。

玉露は、栽培中の一時期に覆いで日差しを切ってますますタンニンを抑制する栽培法をとるもの。茶の品種も特にキャラの強いものを選ぶらしいが、それでここまで旨味一色みたいな強烈な味になんのだなあ。(すごく正直に言えばほろ苦くて爽やかなお茶のほうが好きとは思ったけど)

興味深く飲んで、山を降りると木津川。いよいよ奈良だ。

飯盛山城

奈良は一度は住んだ心のふるさとではあるのだけど、しかしまたすぐ来れるので今回はスルー。

四條畷と生駒のあいだに立つ、飯盛山城へ向かった。

三好長慶の居城として大阪府下の城としてはかなりのビッグネームのはずが、なぜだか行ったことがなくて、なんでだっけと思ってたら、場所が不便過ぎるのだった。

四條畷市だといっても、車で行くなら生駒の方からアプローチすることになる。

阪奈道路からそれて、近くの大学のグラウンドがある細い山道を上がっていくと、第当市立青少年野外活動センターがある。

その先の道はもう車の幅いっぱいみたいな登山道に見えたので、センターに立ち寄って飯盛山城を見に来た旨を伝え、単車を置かせてもらうように頼むと、「車で上までいけますよー」ときた。それと、センターで三好長慶関係の資料を配ってプッシュしていたので、ありがたく頂戴した。

楠公寺

で、もしかしたら舗装されてたかもしれないけど年月が土に帰した感じの道をこわごわ登っていくと、途中に楠公寺という小さなお寺がある。飯盛山城は巨大な山岳城なので、ここはすでにかつての城郭内だったようだ。

駐車場があるので、停めさせてもらって参拝して、もう少し歩いて登る。ほんの五分くらいで山頂。

飯盛山城跡 楠木正行像

山頂には城跡の碑と、楠木正行像。

楠木正行、小楠公が飯盛山城を居城にしたとかいうわけではないが、麓の四條畷の戦いで亡くなったので。一応南朝方の武士が飯盛山城へ入って戦ったらしい太平記の記載があるけれど、そもそもこの頃は臨時の砦くらいじゃないかとも。

飯盛山通信施設跡

この廃墟一体なんだろう。旧軍の通信施設跡とかだろうか。

飯盛山からの眺め

眺望はこんな感じ。

山岳城には珍しい石垣があったりとかもするが、やはり飯盛山城をしっかり楽しむなら徒歩で登山道を攻める必要がありそう。山頂には正直もうなにもない。

飯盛山FM送信所

ちょっと南側にもうひとつ高台があり、かつては千畳敷郭があり、今はNHKとFM OSAKAの送信所になっている。

ただ、野外活動センターでは「楠公寺かFM送信所のところにちょっと車停めるくらいは大丈夫ですよー」と簡単に教えてくれたのだけど、楠公寺はともかくFM送信所への道は激坂。

ギア付きのバイクとかならともかく、遠心クラッチのスクーターだと厳しすぎる。全開でもクラッチ繋がりきらず、半クラのまま停止しちゃうから必死で足で蹴って上がる。数分で着いたからいいものの、クラッチが焼け焦げる臭いが立ち上る状態に。やばいなあ……

放送塔以外に何か目立つ遺構があるでもなし、そもそも楠公寺から5分も登れば着く程度だから、ここまで乗り込まないほうがいいと思うな。

帰着

あとは自宅までまっすぐ帰った。

それにしても、よそにいってわかる和泉ナンバーの運転の悪質さよ。こちらが小型の乗り物乗ってると攻撃してくるのが和泉ナンバーで、「わざとしばらく煽ってから追い越す」「右車線あいてるのに左車線内でぶつけるギリギリを追い越す」「追い越した直後に交差点を左折する」「車線変更するときはバイクのいるところに幅寄せして前に入る」といったろくでもない攻撃的運転を仕掛けるのは、和泉じゃ当たり前だけど、奈良より東でそんなのほとんどいないよ。

帰ってきて最初に思うのがそれってのも何だけれど、まあ信州から美濃、甲賀に飯盛山と満喫してきた三日間だった。

 

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http://blog.sfrenatezze.com/archives/895/feed 0
東京発信州経由大阪行 125ccスクーターと共に (2) http://blog.sfrenatezze.com/archives/872 http://blog.sfrenatezze.com/archives/872#respond Thu, 20 Oct 2016 11:21:29 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=872 新府城からは、次は若神子城に寄ればよかったんだけれども、うっかりして獅子吼城の場所と取り違え、登山になると時間的に不味いなと思い先に進むことに。

次の宿が名古屋あたりになるので、たどり着けないとちょっとまずかった。

で、目的地を遠目に定めてgoogleマップのナビに投入。

サントリー白州蒸溜所

今回の旅程は城跡を中心に攻める……のだけど、道々に白州蒸溜所があって立ち寄らないわけがない。

もちろん運転があるので飲めないが、工場見学(白州蒸溜所or南アルプス天然水)はするけど飲まない選択肢もあり、またミュージアムだけ見学することもできる。時間的に工場見学は難しかったので、ミュージアムへ。

白州蒸溜所ウィスキーミュージアム

山崎も自然あふれるが、白州ももちろん同様。こちらはバードサンクチュアリを作っている。

白札

「醒めよ人! すでに舶来盲信の時代は去れり 酔わずや人 我に國産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」の広告を背に、大将とマッサンが送り出した白札。これがなければ、2000円出せば美味いウィスキーがいくらでも選べる今のような時代は来なかったのだ。

ウィスキーミュージアム展示

サントリー製品や広告のほか、世界各地の酒を製造する設備・装置を展示してみたり。

T型フォード

禁酒法時代にカナダから酒を密輸していたT型フォードトラック、なんてものも。

サントリーウィスキーのミュージアム、というよりは、サントリーによるウィスキー(と世界の酒)の歴史ミュージアム、というくらいの内容。流石にニッカウィスキーにはほとんど触れないが、充実したものだった。

富士桜ポークソテー

昼飯にはちょっと早いけど、勝手のわからない土地で迷ってるうちに入りたい店を決めかねて、結局2時までズレてマクド入ってしまうようなパターンを避けたくて、ここのレストランに入った。

まあちょっと私の金銭感覚ではランチには高い1680円なれど、せっかく白州まで来たんだからたまにはいいもの食べよう、と、富士桜ポークのソテー・きのこソース。

正直、値段はロケーション代だろうと思ってそんなに期待してなかったら、すごい美味い。柔らかいんだけどむやみに柔らかすぎず適度に筋肉質で、筋張った感じはまったくない。これがあるなら白州12年をストレートで一杯欲しいのだけが惜しい。

土産に白州蒸溜所限定のウィスキーを一本買っていった。300mLボトルがあって、たしか1400円だっけ。ウイスキーって、酒強くない私にはそんなに量飲むもんじゃないから、ハーフとかポケットボトルがいいんだよな。

中山道へ

白州から、次の目的地へgoogleナビをセット。

次の目的地は岐阜県に入った中山道沿いになるのだが、ナビのルートはちょっと脇道っぽいところを示す。

諏訪湖を目前として、県道50号線なる山道へ。これが辰野へショートカットする道で、辰野から南下して国道153号三州街道から県道203号。そして、国道361号で権兵衛峠を超えて中山道へ入った。

途中で道の駅大桑に入ったら、御嶽海関の出身地だったらしく、ちょっとプッシュされていた。御嶽山から取った四股名はわかるけど、こんな、日本の中でも特に海から遠いようなところでなんでまた御嶽海にしちゃったのかな……。いや出羽海部屋だから一字拝領だろうけれども……

「開田高原のブルーベリー」なるジュースと、ベーカリーのパンで一休み。ここのパンも、何の気なしに買ったけど美味かったなあ。

土産に、長野県限定のマルスウィスキー「信州」があったのでゲット。

苗木城

で、中山道を下りていって、たどり着いたのは中津川市。苗木城。

ちょっとナビを考えなしに信じて行ったら、城の東側に持ってこられたんだけど、ここからえらく狭い山道を回って西に行かないと城にアプローチできなかった。

さて甲府あたりは武田信玄ゆかりだとかわかりやすい城だけど、苗木城というといささかマイナーなのは否めない。

城主は遠山氏。ちょい南の岩村城にいた遠山氏の一族。岩村の方の遠山景任なら、戦国ファンなら多少名前を聞いているかもしれない。が、まあ、こんな織田・斎藤と武田のあいだにあったらケンカに巻き込まれて苦労する。さしずめ日本のポーランドみたいな土地だ。

苗木城も武田と織田で何度も奪い合ったが、最終的に城主の遠山友政は、苗木を捨てて徳川に従った。

そしてしばしの雌伏の後に友政は、関ヶ原合戦で西軍が強かった東濃での調略というハードなミッションに臨む。苗木城主川尻秀長が軍を率いて京都に出払っているところに乗り込み、放火したりして守備兵を混乱させ、元領主の顔で領民を丸め込んで味方にして城を襲撃。奪還した苗木城を拠点に周辺の支城を制圧、岩村城まで包囲したところで東軍勝利。

この見事な働きで、少ないながらも苗木一万五百石の大名に復帰、苗木藩が設立される。

しかし、「大名」といったら一万石以上の家だけれども、ギリギリ一万石という小大名が城持ちというのは珍しい。わりと小さめの藩でも、城持ちとあればせめて五万石はあるところが多い。

おかげでとにかく貧乏藩だったのだけど、それでも明治まで潰されずに藩を残したのだから、戦国には場所が悪すぎた不運を除けば、遠山氏も大した大名家といっていいだろう。

苗木城遠望

見事に山城なので、けっこう登っていかなきゃいけない。とはいえ、かなり近いところまで車やバイクで登ってこれる。苗木遠山資料館の脇をもう少し上がった先に駐車場あり。

石垣

四角くがっちり築かれた石垣。

苗木城全景

本丸の方の全貌がこんなの。元々岩山だったのを石垣で城に仕立ててある造りで、なんだか城というより要塞ということばが似合うような。

苗木城上から

上から見下ろすと、また実にかっこいい。天空の城、とまでいったら大げさかもだけど、明らかに下界と違う景色。

今は土塀などはまったくなくなっていて、通路や曲輪の石垣がそのまま断崖になっているので、転落事故があってもおかしくない。だけど、それでもロープ張ったりとか鉄柵立てたりとか無粋なことをしていない。今時の安全感覚ならロープ張れという圧力もありそうだけど、やらない中津川市の判断は賞賛したい。

というわけで、見に行くなら絶対落ちないように気をつけて。かなり高い確率で怪我ではすまないし、誰か落ちたらさすがにロープ貼られてしまう。

天守台と井戸

苗木城の井戸

天守台すぐのところに井戸があるのだが、こんな岩山のこんな高いところにあるのに、どういうわけか水が枯れない。未だに水をたたえている。

右手に見える石段のところにかつて、欅づくりの本丸口門があった。

苗木城武器庫跡

本丸下りてすぐの武器蔵・具足蔵は礎石が残っている。

苗木城天守台

そして、遠くからでもちょっと見えてるこの桁組。

苗木城の天守は、岩山の頂上にあるこの巨石の上に建てられていた。

とにかく天然の巨岩がそこらじゅうにあって、整然と組み立てられた石垣と、自然にそこにどーんと居座る岩とが組み合わされながら、この要塞のような城を形成しているのがなんとも浮世離れした格好の良さ。

苗木城天守台

人の大きさと比べて岩のスケールがわかるが、この天守台手前の岩は上部1/3くらいしか見えてない。

苗木城から木曽川

木曽川を眺める。

苗木城には、風変わりな伝説がある。

遠山の殿様が、この異景の石垣の上に土塀と天守閣を築いて、もちろん白漆喰で塗ってたいそう美しい城を造り上げた。

しかし、なぜか一夜明けると漆喰がきれいさっぱり剥がされて、赤土の壁に戻っていた。塗り直してもそうなる。何事だ、と夜も眠らず見張っていたところ、木曽川の龍が夜な夜な現れては火を吹いて漆喰を剥がしていたという。

そういうわけで、苗木城は赤壁城などともいわれる城になった。

木曽川上流方向

これはその、なんだ、一万五百石のド貧乏城持ち大名である遠山氏、漆喰塗るマニーがないからそういう伝説を捏造したんじゃないの、という穿った見方もできるのだが、しかし、織田と武田に挟まれる辛い立場で一度は土地を追われ、しかし城を取り返して明治を迎えるまで存続したのは、赤壁で龍の加護を得ていたのだということにするのが粋ってものだろう。

この景色を眺められる、この格好いい城が今に残るのも龍のおかげ。そういうことにする。

馬洗岩

天守から一段おりたところに、際立って巨大な岩があって、馬洗岩と名付けられている。(ちょっとスケール感ない写真になってしまって私のウデが悪いが、周囲45mあるというでかい岩である)

苗木は何度も攻められている城で、まあ山城の宿命で、包囲されて水を切られることもあった。

そんなとき、このふもとからもよく目立つ巨岩に馬を上がらせ、それに米をかけて、あたかも馬を水で洗う余裕があるかのように見せつけてやった、という話がある。

その武略、「水なんかたっぷりあるぞコノヤロウ」とアピールしちゃうと、逆説的にやっぱ水ないなこいつら、と感づかれる気もするが、しかしまあ無粋はいわず。

 

平日の、午後3時くらいのちょっと遅い時間だったというのに、ガイドツアーで来たらしい集団がいた。意外な人気スポットなのかもしれない。

マイナーな小大名の、正直知名度も高いとは言い難いこの苗木城、しかし私が見たことがある城の中でも屈指の見応え。天然の奇景に人工の石垣を織り合わせた城は圧巻だし、上に上がれば木曽川と山景。龍伝説もあれば、右へ左へ活躍する遠山氏の歴史も面白い。

アクセスもいいとは言い難い場所だけれど、いつか一度は行く価値ある城。

私は時間の関係で寄れなかったのだけど、城の下には苗木遠山資料館という展示施設もある。遠山氏関係のネタはそこでも仕入れられるはず。

名古屋へ

さて、中津川から名古屋へもやっぱり下道だと二時間近くかかってしまうが、ともかくも友人宅へ。

名古屋あたりもまだまだ行ってないところが多くて、乗ってない鉄道路線も多々、城だと清州城も小牧山城もまだ行ってないんだよな。信長公・秀吉ゆかりの土地だけあって、まだまだ掘る所いっぱい。

というか清州城の前を通ったのだけど、日が落ちていたから今回はパス。

この夜は友人と飲み明かして、翌日へ。

 

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東京発信州経由大阪行 125ccスクーターと共に (1) http://blog.sfrenatezze.com/archives/853 http://blog.sfrenatezze.com/archives/853#respond Wed, 19 Oct 2016 14:54:54 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=853 先日まで東京在住していた私だけれども、ミッションを終えて大阪に帰ることになった。

東京に行くときにも、奈良から125ccのヤマハ・アクシストリートで、途中2泊して行ったもんなんだけど、帰るときにも当然乗って帰る。

行きは東海道経由で箱根を越えて東京入りしたのだが、帰りは甲州街道から飯田街道、途中で山越えて中山道に入って名古屋に抜けるコース。

結果的には、城跡や偶然出くわしたスポットを満喫しながら、おおむね快適な気温と気持ちいい晴れ間の中、楽しく旅行できた。下道なら甲州街道は快走だったし楽しかった。

125ccで東海道or甲州街道

125ccスクーター(原付二種)というのは、どうにも道路交通法でちょっと難しい位置に置かれる。原付自転車だから、高速道路はもちろんのこと、自動車専用道路も通れない。一般道でも、高架などがよく原付通行禁止になっている。

しかし、Google Mapsのナビ機能は、原付二種に対応してくれない。だから、高速・有料道路除外オプションをつけたところで、自動車専用道路にどんどん誘導されてしまう。

国道1号線(東海道)では、愛知から静岡に入るあたりの潮見バイパスに誘導されまくるなど、ナビが混乱して不便で困る。

また箱根の山も苦しいところで、1号線は混む。二輪だからすり抜けりゃいいじゃないか、ともいうけれど、それができないような道幅。かといって自動車専用の箱根新道に逃げることもできない。

小田原側に抜けてやっとやっと動き出したと思ったら、道なりにまっすぐ走るとこんな酷いところに突っ込む。私もこの罠を踏んだ。

国道20号線(甲州街道)だったら、125cc規制によって混乱することはなかった。

道もおおむね快走路で、たまに市街地でちょっと混む程度。走ったのが平日だったせいもあるけど。

難点は、アクシストリートだと全開にしても60km/hを下回るような上り坂になるところがあり、道幅も狭かったりするとトラックに煽られ倒したりする。

しかしまあ、これは現在市販されている国産125ccスクーターでおそらく一番遅いアクシストリートだからかもしれない。

旅程一日目: 東京→甲府

引越のサカイに荷物を引き渡し、部屋の掃除を軽く済ませて、午後2時頃に出発。

逆に渋滞を増加させたとウワサのバスタ新宿を横目に甲州街道ひた走り。

とはいえ、出発時間をなかなか定められなかったから宿の予約もしてない状態、飛び込みで宿がとれそうなとこまでは行きたい。甲府ならきっとお館様がなんとかしてくれる。

でまあ、日のあるうちはまだ東京都内の街らしいところを走っていて、多摩御陵のあたりではすでに日が落ちていた。早めに出られたら八王子城跡とか滝山城跡に寄り道しようと思ってたのだけど、遅い。

大月の猿橋くらいは見ていってよかったかなと今更思うも、そういうのがあると知ったのが交差点の案内板で、そして急遽右折するには気付くのが遅かった。

8時頃に甲府着。駅前のホテルに飛び込んでみると、空いたところがあったので宿泊。とはいえ一軒目は満室だったから、休日とかだと危なかったか。

せっかく甲府だからほうとう食うかー、と、ホテル近くに見つけていた「ちよだ」というお店に。

されど「ほうとうは30分位かかる」と無情な張り紙。腹減っていたので、湯盛りうどんというものを頼んでみた。

ほうとうは、この平たい麺を、野菜の味噌汁で煮込んだようなものであるそう。

そして甲斐には他に「吉田のうどん」といわれるものがあるらしく、これは四角くて硬いうどんに、醤油出汁(味噌もある)に油揚げと馬肉(最近は豚肉)をトッピング、というスタイル。

湯盛りはセパレート。麺はほうとうっぽいし、出汁は吉田のうどんっぽい。結構寒かったので温かいのにしたが、麺を冷たくしたスタイルは「おざら」というらしい。

出汁は野菜と油揚げ、豚肉らしいのも入って結構具が多い。ざるそばのつゆほど濃い味でもなく、また麺をざるに上げてしまっていないので、食べてるうちに出汁がゆるくなる。終盤はだいぶ薄味になって、ちびちび出汁をすすりながら食べる感じに。

なんというか素朴というか、日本で育って嫌いになるはずがない味ね。

量もまあ一玉くらいで多くも少なくもなく、ちと大男の私にはこれだけでは腹八分。

その後、甲府駅前をぶらぶらして、地酒のカップでもあったら買って、適当なつまみでホテルで一杯やろうかな……などと思ってみるも、なんというか、コンビニと飲み屋以外は8時に全部閉まってしまう感じ。外飲みの気分ではなかった。

仕方なくコンビニに入るも、地酒カップ置いてなし。惜しい。

旅程二日目の壱 甲府→新府

ホテルで眠って翌朝。

あさからほうとう

朝食はいつもパンなのだけど、ほうとうが出るとあったので、節を曲げた。炊き込みご飯にほうとうを合わせ、ちょっとサラダやソーセージがはいってとっ散らかったが。

甲府城

甲府駅前信玄公

駅前にお館様の像がある。

甲府城は駅南すぐにあり、信玄公も南口にいるのだけど、甲府城って武田氏滅亡後にできた城で、信玄公の躑躅ヶ崎館があったのは北側なのだが……

ともあれ、城跡は舞鶴城公園として整備されている。

甲府城稲荷櫓

甲府城には天守はもう残っておらず、再建だと思うけど櫓があった。稲荷櫓だったかな。

甲府城本丸櫓

天守こそないものの、石垣はよく残っている。これは本丸櫓の石垣。

城郭北部は中央線に削られてしまって、清水曲輪というあたりが失われた。西部の楽屋曲輪には山梨県庁がある。今の舞鶴城公園は、本丸・二の丸と東側の曲輪にあたるようだ。

甲府城天守台から

天守台には上がれるようになっていて、なかなかの展望。これは東側で、山の上に山梨県立科学館が見える。南の方になだらかな斜面になってるあたりで、かつて甲府城の石切場になっていたらしい。

何が見えるかを教えてくれる看板があるのは当たり前ながら、それがコンピューターを使った3D地形マップになっているのがハイカラだった。まあ、建物を出さずに地形だけだから、南方の市街地にはあんまり役に立たない感じがあったけど。

甲府城鉄門

鉄門。明治初年まで残っていたらしいけど、あいにくすべての建物が壊されて失われた。

基本的に在来工法で再現しているけど、現代の耐震基準などに照らすと現代工法も使わざるを得ない。できるだけコンクリートや鉄骨は目立たないようにするものの、しかし無理矢理隠すのもそれはそれで見苦しいので、見えてしまうところは見えるままにしているそう。真面目。

甲府城二の丸

二の丸に来てみると、武徳殿が建っていた。山梨県警の武道場になっていて、剣道の準備をしていた。

なんだろう、随分格好のいい建物に見えるな。どっしりした力強い造りで。

躑躅ヶ崎館(武田神社)

甲府城を一回りして、ホテルをチェックアウト。アクシストリートに乗って、ちょっと甲州街道を外れて北へ。

武田神社参道

信玄公時代に躑躅ヶ崎館があったところは、今は武田神社になっている。

由緒書きによれば、祭神はもちろん武田晴信命。しかし開いたのは意外と新しく、大正天皇の即位にあたって信玄公に従三位が追贈されて、それを機に神社の建立の動きが起こってできた。

古地図や縄張りを見せている看板もあるのが、さすが信玄公の館跡地だけはある。館といっても、連郭式の城みたいな縄張り。建った頃(信虎時代)にはもっと館らしかったのを、信玄公の頃には拡張されて城みたいにしたのだろうか。

城じゃなくて館を本拠とした信玄公、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という名言があって、「前線はともかく、甲府まで上杉や北条に攻め込まれる状態になってたらすでに負けてるのだから、この地では城を重視するよりも、人を集め活かすことこそ肝要」とでも言ってそうなイメージ。

でもなあ、この館は城ではないか、と言わざるをえない。

さらにいえば、政治を行う平地の居館と、戦の時に立てこもる詰の山城を使い分けるケースは、特にいわゆる戦国時代より古めの城にはよくある話。で、躑躅ヶ崎館にも、北側の山に要害山城という詰城がある。

そういうわけで、実際の信玄公は「人は人、城は城」ではなかろうか。

武田神社狛犬

なんか狛犬が、妙に胸をふくらませている。これは何かわるものが侵入したら、火炎ブレスとか吐いてくるやつではないか。さすが信玄公を護るだけはあるな……

武田神社拝殿

拝殿。

境内にはちょこちょこ、戦国時代から茶の湯に使っていた名水の井戸があり、水琴窟があり、太宰治が愛でて「春昼」に書いた桜なんてのもあった。

しかし私も若い頃は太宰にハマったもんだけど、「春昼」って知らないなと思ったら、ごく短いエッセイで新潮文庫には入っていない。読んでみたら、太宰のメンタルが一番健康的だった時期のものだけあって、肩の力が抜けて軽妙にトボけた冗談が散りばめられ、なんとも楽しい文章だ。

太宰が住んでいたところも、武田神社から甲府駅に向かう途中にあったらしい。ほんの八ヶ月の在住だけれども、おそらく教科書に載ることではメロスに次いで読まれている太宰作品であろう『富嶽百景』もここで書いた。富士には、月見草がよく似合う。

新府城

さて、ここから甲府を離れる。といっても、さほど遠くないところ、中央本線の新府駅近くにある新府城跡へ。

新府城へは、国道20号甲州街道ではなく、東側の県道17号線からアプローチする。当時はこちらが甲州街道だった。城跡の北東あたりに無料駐車場があるので、そこに停められる。

国道20号側は、かなり急峻な断崖になっている。今あちらから城に上がってこれるかどうかはわからない。こういう断崖を活かしての築城が武田流だったそうで、これで武田流の築城術の粋みたいな城ではあるらしい。

新府城というと、織田の甲斐進出を抑えきれない勝頼が、起死回生のための最後の城として建てたもの、と思っていた。

だけど実際のところは、山に囲まれた躑躅ヶ崎館じゃ手狭で、また信濃方面にも広がった領国を抑えるには、領国の中心地に近い甲府盆地北西部、それに駿河方面の街道とも交わる新府あたりがちょうどいい、ってことで、行政中心として開いたのが新府だそう。まあ、新府、っていうんだからそうだよなあ。

新府城出構え

駐車場からすぐ、城の北側の堀あたりが見えるのだけど、なぜか掘りに張り出した小さな台地が築かれている。

武田の城にも新府城にしかない構造で、何のためのものかははっきりわかっていない。

五稜郭の尖った曲輪のように、広い方向に火力を向けられる鉄砲陣地だったんじゃないか、という話だけども、現地の看板によると、単に堀の水位を調整するためのダムみたいなものかも、とのこと。

藤武神社鳥居

現在の本丸跡には、藤武神社という神社がある。郭を辿っていく感じの道もあるけれども、神社の参道として一直線の階段もある。

急な上にめっちゃ長いけどな……。勝頼の野郎、ちょっと高く盛りすぎやないか……。

藤武神社

必死で登って、藤武神社。元々新府城の守護神として開かれていて、城が焼かれて捨てられた後にも地元の人が存続させていたそう。

勝頼公霊社

さらに、勝頼公の霊社も建てられている。元禄の頃につくられたそうで、武田なきあとも地元の方には慕われていたようだ。

勝頼公霊社を中心に、ずらっと家臣たちの霊位も並ぶ。写真に写っている限りなので抜けがあるかもだけど、右から横田康景、甘利信康、土屋昌次、高坂助信、内藤昌豊、原昌胤、武田信実、(勝頼)、馬場信房、山県昌景、高坂昌澄、真田信綱、真田昌輝、小山田昌輝、五味貞氏。さらに両端には、長篠合戦での戦没者を祀る石碑があった。

躑躅ヶ崎館でも武田二十四将が紹介されていたりしたけど、ここで祀られているのは一世代下がるのがわかるね。

新府城本丸跡

本丸跡……といっても、神社境内あたり一帯が本丸だが、看板は小さなお社の後ろにあった。

勝頼在城68日間、という寂しさ。

信玄公時代の猛将・小山田信茂が、織田の攻勢を受ける勝頼に、新府を捨てて信茂の岩殿山城へ移るよう進言した。岩殿山城は甲斐の東端だけど、要塞のような堅城だから立て籠もって抵抗するにはいいってんで勝頼はそうしたんだけど、信茂は自分で言っておいて勝頼到着前に裏切る。行き場を失った勝頼は、天目山で力尽きて自害。

新府城も、甲府城ができるのと入れ替わりに廃城になった。

帰りは神社の参道ではなく、二の丸・三の丸をたどるルートで降りてみたが、車も通れる道を作ってある以外は、どの曲輪も草が生い茂って足を踏み入れられない状態。

新府城跡が国指定史跡になったのは73年。一部に私有地もあったのを、韮崎市が管理団体になって公有化したのが86年。2005年から、史跡として調査や保存が始まっているとのこと。

石垣もつくらない土塁の城だけど、それにしては城郭の形はよく残っている気がする(どれくらいが修復されたものかはわからないが)。

滅び際の城ながら、地元の人に勝頼が愛されていた痕跡が見えるあたり、藤武神社を維持する体で、御城が保存されてきたのかもしれないなあ。

 

というところで、一旦記事を切る。長い。

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BungBungame Photon 2レビューなど http://blog.sfrenatezze.com/archives/793 http://blog.sfrenatezze.com/archives/793#respond Fri, 16 Sep 2016 22:06:51 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=793 ずっとモバイルに使っていたLavie Zも先日、さすがに限界がきてたので手放した。

何か気軽にひょいっと持ち出せるようなモバイル機がほしいかな、と思ってたところに、Photon 2セール情報が飛んできた。

まあ、セールといっても元々29800円で通販していたのが、シリコンハウス東映の店頭で28800円で販売するだけらしいんだけど、不勉強にして私はこの製品の存在自体を知らず。

Windowsタブレットといえば、猫も杓子もBayTrailやCherryTrailばっかり使ってるところ、まさかのAMD Mullins。メモリーも4GB積んでいて、スタイラスペンまで対応かつ付属。面白い。

付属品等

開封レビューは他にやってる人が大勢いるので、現物の写真とかは省略。

本体、ACアダプター、USBケーブル(標準A→Micro Aへの変換アダプターつき)、スタイラスペンと単6電池、それから標準A/Micro A両用の8GB USBメモリーがついていた。

本体側の端子は、Micro HDMI、USB 2.0 (Microコネクタ)、SDカード、Micro SDカード、イヤホン、電源。SDのデュアルスロットは珍しい。

モニターは、フルHDじゃなくて16:10の、1920 × 1200。10点タッチで、筆圧感知できるスタイラスペンが付属。

今回はキーボードカバーもセット。

CPU: AMD A6 Micro-6500T

AMDのFusion APUはまあ、コストパフォーマンスのいいCPUとしてそれなりのポジションは得ていると思うのだけど、このA6 Micro-6500T (1.2GHz / Max 1.8GHz / 4C4T)は少々珍しい。

コードネームはMullinsという耳慣れないものだが、ASCII.jpの記事から見ると、Kabiniの後継にあたるモバイル向けCPUであるらしい。

世に出回るレビュー記事などを見る限り、例によってというか、ライバルのIntel Atom (世代的にはBayTrail)に対して、CPU性能で同等かちょい落ちるか、グラフィック性能では大きく上回る、といういつものやつ。

まあ、元々タブレットにそこまで処理性能に期待しないのはあるけれど、使ってみた感じ、CPUの処理能力不足が酷いと感じるシーンは特にない。

Windows 10がAnniversary UpdateでWindows Inkなどのペン対応機能が増強されたが、意外にペンの反応がよく、曲線をさっと描いても如実に多角形になったりしない。CPUパワーが足を引っ張ったりはしていないようだ。

以前BayTrail-TのAtom Z3735G (1.33GHz / Max 1.86GHz / 4C4T)のタブレットを使っていたこともあったが、やはり体感レベルでは同等かそれ以上かというところ。

発熱について

ただ、A6 Micro-6500Tは、TDPが4.5Wある。Atom Z3735Gは2.2Wだから半分。

実際、Photon 2でdistributed.netクライアントを走らせ、CPUフルロード状態にしてみると、本体裏面右寄りあたりがかなり高温になる。Atom Z3735Gだと、同じことをしてももっと加熱が控えめに思えた。

もちろん、普通に使っていると大した発熱はしないので、実用の問題はない。

ただ、AtomではなくFusion APUを選ぶメリットは3Dゲームなどに強いことのはずで、でもゲームを遊ぶと発熱が心配となると、いささか相反してしまう感はある。

他のMullins採用PCというと、HPのPavilion 10z netbook (E1 Micro-6200T)やStream 14 (A4 Micro-6400T)があるが、これらはファンレスではあるらしいものの、タブレットよりは筐体に余裕があるはずのクラムシェルノート。なのに、タブレットのPhoton 2よりロークラスのもの。

Photon 2の場合は、BungBungameという小メーカーゆえの攻めた設計で、より高性能なA6 Micro-6500Tをタブレットに載せているけれど、HPのような大手だとクラムシェルになっちゃうモノなのかもしれない。

外装排熱とSTAMP

ところで、Mullinsの特徴として、STAMPという機能がある(ASCII.jpの記事参照)。温度監視を、CPUコアだけでなくタブレットの筐体に対しても行い、手で触って熱すぎる温度になっているならクロックを下げるなどして発熱を減らす、というもの。

そういう機能があるのだし、筐体を積極的に排熱に利用する設計になっているのかもしれない。実際、裏面はおそらく金属製なので、これをヒートシンク的に使えばそこそこ排熱性能を取れそう。

外気温の影響も大きい感じ。エアコンをきかせているとか、25度くらいまで気温が下がっている日なら、数時間負荷をかけ続けても、CPU温度は50~55度くらいまでしか上がらない。それで外装に触れても、熱くはあるが触れないほどでもない。

まあ、HWMonitorにはSTAMPのセンサーらしいものは見当たらなかった(検出できないだけの可能性はある)し、本当にSTAMPを利用して外装で排熱しているかどうかは、ちょっと判断しかねるけれども。

また、仮に外装排熱を行っているとしたら、外気温が高いところで使って、排熱できないほど加熱してしまう状態にはしないほうがよさそう。まずハードウェアの寿命が縮まる。夏の屋外使用は気をつけておく。

distributed.netとクロック制御

うちではベンチマークといったらdistributed.netのOGR-NGだが、これはMullinsはかなり性能がいい。

私がこれまで集めたベンチマークに基づくと、Atom Z3735Gの2倍くらいの処理速度は出せそう。2GHz級のCore 2 Duoとか、2コアのCore i系CPUと同等のパワーがあると見込めそう。

ただ、25℃くらいの部屋でも、dnetcを回したらものの数分で温度は50~55度程度まで上がり、そしてCPUクロックは800MHzに下がる

1.2GHzなら80Mnodes/s程度出る見込みだったが、800MHzまで下がっているとなると、50Mnodes/sくらいまで落ちる。ここまで下がると、Atom 3735Gと差がなくなってしまう。

まあ、手に持って使うタブレットが、積極的にクロックを下げてでも発熱・消費電力を減らすというのは正しい。正しいが、それにしても下げる方向に積極的だなと。

GPU: RADEON R4

AMDだし、強力なグラフィックには期待したいところ。

標準状態では、グラフィックメモリーはメインメモリーから512MBを持って行っている。まあタブレットとしては余裕の4GBなので、多めに取ってるのも大きい問題はない。

distributed.netのOpenCLクライアントでベンチマークを取ってみたところ、A8-7600のRADEON R7と同等のGCNアーキテクチャっぽい。

A6 Micro-6500TのR4が、400MHz・2CU(128SP)で69Mkeys/s。

A8-7600のR7が、720MHz・6CU(384SP)で369Mkeys/s。クロックとCU数を揃えると、ほぼ同じ数字。

Atom Z3735GのHD Graphicsは、646MHz・4CUで8Mkeys/sしか出ないので、やはりここはAMD APUの強さは感じる。

Minecraft

Minecraft (Ver.1.10)は、バニラであれば描画設定を下げていくことで、なんとか普通に遊べるくらいにはなりそう。

しばらく動かして発熱し、CPUが800MHzに下がった状態でそういうプレイ感だったので、熱ダレするから5分しか遊べない、なんてことはない。ただ、広大な地下渓谷とか、大牧場とかを確認したわけでもないので、どこまで耐えるかはちょっとわからない。

ストレージ: BHT WR202D0064G

デバイスマネージャーによると、上記のeMMCドライブが使用されている。

CrystalDiskMarkによると、

  • Seq Q32TI: Read 151.4MB/s, Write 67.79MB/s
  • 4K Q32TI: Read 10.69MB/s, Write 11.76MB/s
  • Seq: 150.6MB/s, Write 70.46MB/s
  • 4K: 9.406MB/s, Write 10.72MB/s

と出た。eMMCってもっと遅いものだというイメージだったけれど、思ったよりベンチマークは出ている。SATAのSSDとはいわないまでも、なかなか頑張る。

正直、使っているとアプリの起動などはモタつく感じがある。eMMCの反応が鈍いような気はするのだけど、ベンチマークで見ると結構高速だし、どうなんだろう。

容量が64GBあるのは、素直に安心。使いやすい。16GBのWindowsタブレットを洒落で買ったら、TH1アップデートが容量不足で入らなくてえらく面倒だった。

SD/MicroSDスロット

ついでにSDカードスロットもチェック。

SDカードは、東芝EXCERIA SD-JU064Gを使用。UHSスピードクラス3、読み込み95MB/s、書き込み60MB/sのカード。

  • Seq Q32TI: Read 21.55MB/s, Write 15.18MB/s
  • 4K Q32TI: Read 9.301MB/s, Write 0.166MB/s
  • Seq: 22.23MB/s, Write 18.24MB/s
  • 4K: 8.762MB/s, Write 0.154MB/s

なんか値が異様に見えたので、東芝EXCERIA SD-FU008Gでも試してみた。UHSスピードクラス1、読み込み48MB/s、書き込み不明。

  • Seq Q32TI: Read 19.58MB/s, Write 11.14MB/s
  • 4K Q32TI: Read 6.792MB/s, Write 1.495MB/s
  • Seq: 21.60MB/s, Write 18.24MB/s
  • 4K: 6.247MB/s, Write 1.351MB/s

高速カードのほうがランダムライトがはるかに遅い、なんとも不思議な感じに。

なお、SDカードスロットは、カードが完全に筐体に収まるタイプではなく、少しはみだしてしまうので、常時挿しっぱなしのサブストレージにするには向かない。

MicroSDは、手元に高速タイプがなかったので、SanDisk Ultraの16GBで測定。カードスペックでは読み取り48MB/sだと思うが、書き込みは不明。

  • Seq Q32TI: Read 31.17MB/s, Write 12.84MB/s
  • 4K Q32TI: Read 2.164MB/s, Write 0.502MB/s
  • Seq: 35.86MB/s, Write 12.58MB/s
  • 4K: 2.035MB/s, Write 0.502MB/s

ということで、SD・MicroSDともに今日日の高速カードの性能を出せるスロットではない。ストレージとしてMicroSDを増設するなら、UHS-I対応のクラスであれば、容量だけ見ればよさそう。

デバイスマネージャーからデバイスを接続別表示にしてみると、SDカードリーダーは、PCIバス直下に「SDA 標準準拠 SDカードホストコントローラー」となっている。MicroSDカードリーダーは、USB接続で「Realtek USB 2.0 Card Reader」になっている。

MicroSDの速度は、USB2.0で頭打ちになってるっぽい。SDカードの方は、そもそもあまり速いコントローラーではない感じが。

なお、容量については公式スペックで200GBまで対応を謳っている。256GBを挿すとどうなるかわからないが、まあ当面は十分な対応容量だろう。

バッテリーライフ

Bluetoothキーボードを使って、会議のメモ取りをテキストで行う、といったことを何度かやってみた。

スペックシートで6~8時間動作とあるが、まあ、メモ取りのような極めて軽い仕事なら、本当に6時間以上持ちそうな感じだった。4時間近くやってバッテリー半分強ほど減るくらい。

スペックシートには、電池容量は32.6Wh (4800mAh)とあるのだけど、これだと電圧が6.8Vくらいで不自然に思う。リチウムイオンバッテリーの3.7Vから逆算すると、8800mAhくらいの数字になるので、こっちが正しくなかろうか。

3.7V-4800mAhの大型スマホ程度のバッテリーで、このWindowsタブレットを6時間稼働させられる気がしない。

ともあれ、一度の外出という時間スパンであれば、フォローしきれるバッテリーライフはある。USB充電ができないのが気になりはするが、まあこれだけ持つなら大丈夫かな。

バッテリーの劣化の速さはどうだろう。前のLavie Zは3年で半分以下まで容量が減ったけれど、リチウムポリマー電池なんてそんなもんって気がする……。もちろん今はほぼ劣化なし。

キーボードカバー

オフィシャル通販では別売り5000円相当だったよう。

カバーとしては結構しっかりしていて、磁石でスナップして閉じ、またスタンドにもなる。スタイラスペンホルダーもある。まあしっかりしているがゆえに、重量は本体が580g、カバーが500g程度で、装着すると1.1kg。ちと重い。

キーボードは物理スイッチがあるので、オフにすれば、裏返しにたたんだ状態でタブレットとして使うようなこともできる。

キーボード

キーボードには、リチウムイオンバッテリー内蔵。時々充電が必要になるが、なぜか充電端子はUSB 3.0のMicro B(小さい口が2つあるような感じのやつ)。

実際はこんなややこしいケーブル使わなくても、よくあるUSB 2.0のMicro Bケーブルが刺さるし充電できる。いかにも充電忘れそうなところなので、モバイルバッテリー使えるのは安心。

接続はBluetooth。USB有線接続は、してみたけど充電するだけでキーボードとして認識はしなかった。

無線接続の常で、スリープ復帰直後など少し待ち時間が生じるが、問題になるほど遅いってことはなかった。

Photon2 Keyboard

雑な写真だけど、キー配列。

エンターキー1段なんて、私は単体キーボードなら絶対避けるのだけど、まあ付属品だから仕方ない。何度もエンターのつもりが¥が入ってるけれど。

右の方はかなり特殊配置。事情もあるのだろうが。日本語でよく使うかぎかっこ、MS-DOSプロンプトでよく使う¥、アンダーバー、それぞれ位置がおかしくて、タッチタイプで対応できない。

Deleteは右上に置いて欲しいし、Insertもコンビネーションにされるのはちょっと。NumLockなんかFnキーとのコンビネーションでどこかに捨てて欲しかった。カーソルキー近くにアプリケーションキーがあるのも邪魔で、よく触ってしまう。

それから、まさかの変換キー省略・Fn+右Altなんて操作に。私は変換キーにIME On/Offを配置する運用を、PC-9801時代から30年やってるから、これは辛いところだ。

……と配列に文句をつけまくりはしたけれど、まがりなりにも日本語キーボード。少なくとも日本語の入力に必要なキーは、どこかにある。英語キーボード使うよりはずっとよい。ノウハウあるメーカーならもっと煮詰めた配列にするとは思うが、流石にBungBungamesに日本語キーボードのノウハウは求められない。

キータッチもそう悪いものでもなく、価格帯としてはまずまずだろう。

タッチパッド

タッチパッドの品質は、よいとは言いづらい。

何より、単純に大きすぎるから、テキスト入力中に手が触れてタップされてしまうことがあったりする。

まあ、少ししか使わないなら、機能は果たす。よく使うなら、別にマウス持ったほうが幸せになるとは思う。

スタイラス

Windows 10のAnniversary Updateで、ペン周りの機能がかなり強化された。これはPhoton 2には実に好都合なアップデートに思える。

Windows InkやOneDriveでスタイラスを使っても、非力なタブレットのスペックでも、まずまず反応良く線が描ける。普通にさらっと動かす程度なら、弧が多角形に化けるなんてこともない。

感圧もちゃんと対応して、強く押し込むと線が太くなる。まあ、結構強めにいかないとあまり太くならないなー、とも思ったけれど、ここがあんまり鋭敏すぎても太さぐちゃぐちゃになりそうではある。

スタイラスのサイドには2ボタン(見た目ひとつだけど両端にそれぞれ別ボタンの判定がある)で、ペンと消しゴムも持ち替え無しで使える。マウスがわりに使うにも便利。

これはかなりいい。導電繊維の太いスタイラスなどよりも、遥かに正確で使い心地もいい。

絵心があれば、何かひとつ描いて見せてみるのだけど、あいにくそれはできない。

重いペイントソフトを使えるPCスペックではないように思うので、絵描きさんが液晶ペンタブの代わりに使うというのは難しい気はする。どうなんだろう。

なお、電池は単6電池が必要になる。どうしようかと思ったらヨドバシカメラに置いてたのと、あとは6LR41の9V電池をバラすという手があるらしい。

使用感など

スペックでは、「タブレットにしては強力」というクラスのもので、実際の使用感もそれくらい。

ただ、ちょっと気になったのは、不思議とアプリケーションが立ち上がるのが遅い気がする。アイコンをタップしたつもりが反応がなく、あれ、と思ってもう一度やったら二重起動、なんてことをよくやってしまう。

OfficeやらPhotoshopやらであれば遅いのはあたりまえなのだけど、テキストエディターくらいでも遅く感じる。メモリーが4GBあって、ベンチマークはそう遅くないはずのeMMCストレージで、たかがエディターに。

まあ、起動してしまえば別に遅い感じはないので、慣れればいいことではあるけれど。

 

タブレットとキーボードカバーを合わせて1kgちょい。小さめだから持ち重りする感じもあって、もうすこし軽くなってほしくもある。

その分、防御力高そうなカバーなので、鞄の中に入れていて壊れてしまいそうな不安は小さい。

スタンドの角度は固定で、私は背が高いので少し立ち気味に感じる。液晶はIPSなので、少々角度が外れても見え具合に問題はなし。

しかし、奥行きを結構取ってしまう。狭苦しい安カフェの席なんかでは苦しい場合もある。重心も高いので、キーボードが手前に机からはみ出し気味だと、パームレストに手をおいたら持ち上がりかけたりも。

ひざ上使用は、きちっと膝を閉じていれば大丈夫。

 

キーボードカバーを外しての単体運用は、うーん、どうだろう。

Windows 10自体がまだまだ、タッチだけで運用するにはこなれてない。タッチ運用だとどうにもAndroidの方が強い面が多い。

現時点ではキーボード付きノートPCとしてしか使う気がない。ゆくゆくこなれてくれば、タブレットとして軽快に持ち出すシーンも出てくるかもしれない。

ここはハードウェアのせいではない。

 

総じて、これ3万円弱なら安いな。お買い得だった。

 

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前橋 http://blog.sfrenatezze.com/archives/797 http://blog.sfrenatezze.com/archives/797#respond Fri, 02 Sep 2016 16:22:55 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=797 今週も城を訪ねるべく、ちょっと遠いが思い切って前橋に飛んでみた。

前橋城、というより、私のような関西人には戦国歴史ゲームでよく見る厩橋城の方が馴染みがある。今の姿はどうなっているだろうか。

上野駅の、初めて使う特急ホームで、名前も知らない特急草津に乗って一路。なぜか車内アナウンスで草津のツが濁っていたのだけど、琵琶湖畔の草津は濁らないけど温泉の草津は濁るのかなー、と思ってたけど単に車掌さんの癖っぽい。

新前橋で下りて、そこから歩いてもよさそうな距離だったけど、せっかくだから両毛線にひと駅。

新前橋駅 新前橋駅 新前橋駅

なんかモノも塗装も懐かしい感じの車両がいっぱいの新前橋駅。

「お前はまだグンマを知らない」によると、両毛線はいつもドアが半自動扱いだそうで、この真夏が終わったばかりの今でもそうだった。

関西には半自動のドアなんて、東日本大震災の節電の頃までひとつもなかった。私も、2008年に富山に行って城端線に乗るときに初めて遭遇して、ホームにいるのにドアが閉まってるのは回送車両だと思い込んで混乱したものだった。2011年頃から阪和線あたりに半自動扱いが導入された時は、しつこいくらいのアナウンスにもかかわらず大部分の人が混乱していた。

前橋駅

ひと駅行ったら前橋駅。

駅はきれいなのだが、なんか寂れた感じ。元々市街地から駅が離れているし、路線が両毛線だという力弱さもあってか、利用者は群馬県内でも宇都宮や水戸より少ないらしい。

駅前のエキータ前橋なるショッピングセンターに入ってみたら、うっ。

エキータ前橋のタイムクライシス2 エキータ前橋のレイブレーサー エキータ前橋のバイオハザードガンサバイバー

1階は数点のテナントと地元物産店でそれなりに埋まっていたけど、2階はガラガラで、居酒屋とカラオケ、それからどう見ても空いてる場所に余ってる古いゲーム機持ってきて並べた感じで造られたゲームコーナー。

大丈夫かなこのありさま。「エキータ前橋」でぐぐったら、地元のひとたちの嘆きと呆れの声が山程出てくるんだけど、ほんと大丈夫かな。

で、ここには昼飯食いに入ったのだが、居酒屋がランチもやってたのでそこで。前橋は豚肉の町でもあるそうで、豚丼を頼んでみた。隠し味にカレー粉を忍ばせてあるっぽい、ちょっと意外ながら美味。ただ、メニューに「エキータ従業員は20%引き」とか一般客に見せるべきでない文言があった気がするのだけど、もしかしてこの店はそれで持ってるのかな。

けやき通り

 

さて、離れた市街地へは、けやきがたくさん植樹された綺麗な道がある。県庁まで208本。

それから、街のいろんなところに彫刻やらアートオブジェやら詩碑が置かれている。アートでまちおこし、というような類のやつかと思うけど、結構がっつりやってる感じ。ほんとにそこらじゅうにある。

前橋八幡宮

前橋八幡宮があったので参拝。

境内に古墳があって、伯牙弾琴鏡なる銅鏡が出土している。

中国の春秋時代、伯牙という者が琴を弾くと、友人の鍾子期はその調べに託されたイメージをたちどころに見抜いた。あまりにもよい聞き手を得た伯牙は、ひたすら腕を上げて名人といわれるようになったが、鍾子期は早くに亡くなってしまう。最良の聞き手を失った伯牙は、琴を打ち壊して二度と弾くことはなかった。

伯牙がモチーフの銅鏡はちょくちょくあって、奈良時代に作られたものは日本に12枚。その1枚がこの八幡宮にある。

それから、かつて前橋の地を収めてきた領主からの、寄進状などの書状がまとまって残っていて、北条高広や平岩親吉、酒井重忠などの統治期や八幡宮との関係がわかる資料として文化財に指定されている。

つまり結構な歴史がある重要な神社なのだけど、なんか、そういう有り難みをアピールするのが下手な神社やなー、という感じがした。このコンクリート造りの拝殿といい、敷地内っぽいのにただの空き地みたいな公園にしてるとこといい、なんかどうも、もったいない。

生糸改所

国道50号線は東国文化歴史街道と名付けられていて、道沿いに歴史を示す案内碑がいくつかある。本町二丁目交差点には、かつて前橋が生糸産業で栄えた頃の改所跡地を示すものがあった。

上毛カルタにも「県都前橋いとのまち」と読まれているらしくて、富岡製糸場より前に、後に富岡製糸場長になる速水堅曹という人が前橋に製糸場を作っていたそうだ。

旧勝山社煉瓦蔵

近くには、国登録有形文化財・旧勝山社煉瓦蔵を利用したレストランがある。

製糸会社の勝山社が建てた煉瓦蔵が、その後も銀行やらに使われ続けて未だに残っている。元々倉庫だというのに結構意匠に工夫がある感じで、明治のハイカラな蔵だったんだろな。

それからアーツ前橋なる美術館を覗いたが、明らかに現代アートの展示だったのでパス。現代アートわからんのだ私。

馬場川通り、という小川の脇の通りを歩いて行く。

船つなぎ石

船つなぎ石。馬場川は小川だから船は通らん気がしたが、利根川はしょっちゅう流れを変えまくって暴れ倒していたので、ここに渡し船が必要だった時期もあるらしい。説明書きには「移した」とあるけど、元の中央通のえびす坂ってすぐ近くっぽい。

ただちょっと気になるのが、植えてる花が伸びすぎて船つなぎ石が見えん。こういう傾向、街中に散在するアート作品に対してもちょくちょく見られた。

萩原朔太郎生家跡

で、前橋が誇る偉人といえば萩原朔太郎。

開業医の息子として生まれた朔太郎、その医院はここにあった。今はマンション建ってる。

1968年まで医院の建物も残っていたので、有志が建物の離れ・書斎・土蔵を敷島公園に移設して保存している。この碑も、元々萩原家の門柱だったらしい。

生家に沿って西に行く道は、朔太郎通りと名付けられている。道沿いに、萩原朔太郎賞を受賞した詩が碑になって建てられている。やっぱり私は詩はわからんという思いを深めてしまった気がするけど。

群馬県庁

そして群馬県庁。去年は大河ドラマ「花燃ゆ」があったから、写真右手の昭和庁舎を大河ドラマ館にしていたそう。左手の高い本庁舎には展望台がある。

で、ここが前橋城本丸御殿だったところ。

福井県庁も福井城の本丸にあるんだけど、あっちは堀も石垣も残った郭らしい姿のままで庁舎が建っている。こっちは、城の面影はないな……

群馬会館

向かいの群馬会館も、昭和5年建造の群馬県初の公会堂。

ちょうど群馬会館あたりは二の丸。地裁のあたりが三の丸。

前橋城土塁

数少ない、遺構らしい遺構として残っている土塁。本丸北東側あたり。今は道路になってるあたりは堀だったっぽい。

本丸跡の碑

で、土塁の北端あたりに城跡の碑があるらしいのだけど……通路が草で埋まってとても入れないぞ……。やっぱなんか、前橋はちょっとメンテが足りない気がする。

ちなみに御城プロジェクト的には、石倉城→厩橋城→前橋城と成長するイメージだけど、石倉城はやや場所的にズレる。石倉城の頃は、利根川の対岸にあった。今も対岸の、前橋市石倉町5-8にある公園に石倉城跡の碑が建っているそうだ。

前橋公園

前橋城の北側は、広々とした公園になっている。ここはメンテも行き届いて綺麗。

さちの池

さちの池、という人工池、空から見ると群馬県の形をしていて、中の島は前橋市の形だとか。

臨江閣

で、臨江閣に来たら工事中。ヅガン。なんか私よく工事中に来てしまうな……

臨江閣は、明治17年に群馬県令・楫取素彦によって迎賓館として建てられた。築百年を過ぎるふるさで、耐震補強とかもあって現在修繕中。去年やるつもりだったら「花燃ゆ」がきちゃったから慌てて延期したとか。

るなぱあく

東にはるなぱあくという遊園地があるのだが、「日本一なつかしい遊園地」とかいって何かと思えば、1954年のオープン以来、特に近代化改修されずにやってるらしい。

もくば館(登録有形文化財)

この電動木馬、1954年製で実に60年以上働き続けてるらしく、2007年に国の登録有形文化財に指定されている。営業中の遊園地で稼働中の遊具が登録有形文化財。ばかな。

他の遊具もなんとも小さくて、でも多分私が子供の頃、バブル直前くらいに見ていた遊園地もこんな感じだったんだろう、っていう懐かしさ。関西だと生駒山上遊園地だけど、あの下界を離れた山奥と違って、前橋のまちなかにあってこれだからなんかすごい。

ラジオ等

それから園内にもうひとつ国指定登録有形文化財があり、この灯籠型のラジオ塔。個人ではラジオを持つのが難しかった1933年、公共にラジオを流すべく建てられた。当時のNHK前橋放送局のコールサインJOBGのパネルが前にかかっている。(すぐ前に柵があって前から写真撮れん)

ここから、市街地の方へ戻っていく。聖マッテア教会から東へ、おそらく銀座通という通りを東へ。途中でスズランデパートなる百貨店もあった。

……しかしなんだろう、たまたま寂れたところを通ったのかもしれないが、ちょっと、これは、かなりの衰退を感じさせる雰囲気が。個人商店がいっぱい、まあそれなりに開いてる店も多いのだけど、なんかおばちゃん向けの服屋とか靴屋とかそういう、別に頑張って儲けようって感じでもない店が多く、どうもこう、企業のチェーン店が収益を見込めなくて入ってこないんじゃないかという気がしてくる。

多分バブルくらいまでは賑わいがあったんだろうなあ、という感じもあるんだけど、うーん。そういう過去の賑わいがある気がするから余計落ち込んで見えるのかな。

オリオン通りを北上して、突き当りにくると熊野神社があった。

熊野神社

今となっては小さな神社だけれど、かつてはこの辺は熊野の杜と呼ばれる森林が広がっていたそう。出雲の八束熊野神社から分祀したといわれているが、どれくらい前かは不明。江戸時代くらいからここらの鎮守扱いになっていったそうで、「恩熊野様」と拝まれていたのが「おくまんさま」と呼ばれて親しまれる、とのこと。

前橋文学館 萩原朔太郎像

で、前橋文学館へ。

展示エリアはこぢんまりしていて、やっぱり圧倒的に朔太郎。私は詩はわからぬ人間なのだけど、朔太郎は結構な写真好きだったらしくて、そこに共感。しかもステレオ写真が大好きだったらしくて、そのヒネったもん好きなところになおさら共感。他にマンドリンなんかもやってたとか。

医者の息子のブルジョアでイケメンで写真好きの詩人。漫画か。

文学館も9月いっぱいで移転工事に入るらしくて、もう少し遅れたら門前払いを食うところだった。

広瀬川

広瀬川に沿って歩いて、上毛鉄道の中央前橋駅に向かっていく。

この川沿いにもアートオブジェがいろいろあるんだけど、この写真奥のバネみたいなやつ。よく見るとゆっくり回転している。それはいいんだけども、バネの端が浸かっている小川に藻が繁殖して水面に膜を張っていて、回るバネの端が藻をすくい上げてはオブジェに巻きつけていく、という、多分アート的な意図と外れたアクションを見せていた。

なんかその、結局自然の前ではアートの意味なんて蹴散らされるものだ、とかそういう意図でないのなら、もうちょっとメンテすべきじゃないかな、と……

どうもこうも、街をよくしようと行動はしているものの、何かと空回りしてしまってるような印象を受けてしまう街だなあ。

中央前橋駅 北原ゆうき

上毛電鉄上毛線、中央前橋駅。そして鉄道むすめは気がつけば現れているのだ。

上毛線

顔見たら相当懐かしい感じかと思ったけど、ステンレスっぽいしそこまで古いわけでもないのかな。上毛電鉄700型というらしい。

切符買おうとしたら出発時刻で、後払いの乗車証明書貰って慌てて飛び乗った。(写真は降車後)

どういうルートで東京に戻るかと思ってたけど、とりあえず上毛線で西桐生まで。両毛線で桐生から伊勢崎へ行って、東武伊勢崎線で、となった。

ま、城を見に行ったつもりが城がなかった感じの旅だったが、これはこれでまた楽しからずや。

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1万円のThinkPad L412にUbuntu入れて遊ぶ http://blog.sfrenatezze.com/archives/719 http://blog.sfrenatezze.com/archives/719#respond Sat, 27 Aug 2016 10:41:23 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=719 中古ノートPCを買ってきた。ThinkPadのL412。

少しくらいLinuxを扱えるように慣れておきたいな、と以前から思っていたので、何か入れる端末が欲しかった。

そういうわけで、以下いじくりメモ。

ThinkPad L412のスペック

  • CPU: Core i3-380M (2.53GHz / Socket G1)
  • メモリー: 4GB (2GBx2)
  • HDD: Seagate ST9250315AS (250GB)
  • チップセット: Intel HM55
  • GPU: CPU内蔵 Intel HD Graphics Gen.5
  • LCD: 1366×768 14型 ノングレア

慣れないLinuxを使うというのに変なPCだと苦労が増えそうだけど、ThinkPadのL3桁シリーズはスタンダードなモデルだから、特に癖はなさそうに見えた。スペックは当時としては極めて当たり前、独自機能らしいものもトラックポイントくらい。

2010年か11年の製品だから、5年くらい落ちている。OSもなしで、税込み11000円程度。

CPU

私自身も友人も、誰もNehalemアーキテクチャのCore iシリーズを使ったことがある者がいなかった。えてして初物世代は回避されがちで不人気になるものだけど、それにしてもWillametteのPentium 4ほどではなかろうに。

Nehalem世代のモバイル用Arrandaleコアは、CPUとGPUが別ダイでパッケージングされていて、発熱・消費電力もちょっと下がりにくかったとか。それもあって、Core iシリーズが本格的に受け入れられるのは次のSandy Bridgeからかな、とは思わなくもないが。

そんなわけで、使ったことがないことだけを積極的理由に、わざわざNehalemを選んで買った。今となっては売価はSandy Bridgeでも大差ない感じではあったけれど。

今回の私の用途だとCeleronでもPentiumでもよかったんだけど、ArrandaleのCeleron P4x00やPentium P6x00は売ってるのをほとんど見なかったし、あっても案外安くない。安いのを選んだらCore i3だった。

2C4T / 2.53GHz (TurboBoostなし) / 3MB L3。グラフィックはIntel HD Graphics Gen.5で、最大600MHz。

Socket G1 Arrandaleのアップグレード

で、ThinkPadはわざわざ分解マニュアルを公開してくれていて、どうせ中古なら保証も関係無いから、勝手にアップグレードする楽しみもある。

L412の場合、CPUのアップグレードパスはどうか。

Arrandaleだと、Core i7/i5/i3の差はさほどないように見える。全部2コア。Pentium / Celeronも、Hyper Threadingが無効なだけで、シングルコアになったりはしない。

下から見て、CeleronはL3が2MB。PentiumはL3が3MB。Core i3はHyper Threadingが有効。Core i5はTurbo Boostが有効。Core i7はL3が4MBで、AESとかVT-dとかも有効。

クロックは、ほとんど重ならずに格上が高い。GPUクロックも多少差があって、i3は最大600MHz、i5以上は766MHzらしい。

で、今の2.53GHzのCore i3-380Mから交換するとなると、最上位のCore i7-640Mでも、定格2.80GHzのTurbo Boost時3.46GHz。うーん微妙。VT-dとか使わんし。

Core i7には8xxQMや7xxQMといった4コアモデルがあるのだけど、これは同じSocket G1を使うものの、GPUを内蔵していない。よって手元のThinkPad L412に挿しても表示機能がなくなって使えない。

また、低消費電力モデルはマザーボード直付のBGAになり、Socket版はどれもTDP 35W。そっち方向にも道はない。

Celeron P4500からCore i5-520Mとかi3-380Mに変える、というくらいなら2000円で済みそうだからいいけど、i3-380Mから上となるとi7にいかなきゃ速くなった実感なさそうで、i7だと1万円はする。

まあ、残念ながらCPUをわざわざ交換しても、メリットがなさそう。

私のところでCPUパワーが気になる処理というとdistributed.netくらいだけど、これはL2/L3キャッシュ容量など全然影響せず、同じアーキテクチャだとクロック・コア数・Hyper Threadingの有無でしか変わらない。ますますCore i3で十分。

メモリー

規格はPC3-8500 (DDR3-1066)のデュアルチャネル。モジュールはSo-DIMM。2スロット。

買った時点で2GB×2の4GBにされていたから、十分といえば十分。DDR3のSo-DIMMなんて4GBでも2000円くらいみたいだから、8GBぶっこんでしまってもいいけれど。

Nehalemで4GBのSo-DIMMを使うなら、両面実装で8チップのやつでないとNGだとか。最近のものは片面4枚のモジュールが多いらしいから、ここは気をつけておく。

HDD / SSD

今のHDDは250GBで、まあ寝床PCなら困るほどではないけれど、いつ死ぬものやら。SeagateのMomentus 5400.6 ST9250325ASだった。

ちょっと古いので、SATAは3Gb/s。今時のSSDだと負ける。

友人にたかったところ、ADATA Premier Pro SP600の64GBを譲ってくれたので換装。UbuntuだとOS自体のフットプリントは小さいので、64GBでもさしあたりは困らないだろう。

光学ドライブ

どこかの企業で特にそう注文したようで、DVD-ROMドライブが入っている。民生用に売られたものなら、DVD-Rくらいは書き込めるものを入れていたと思うのだけど。

Optiarc DDU7700H、ほんとにOEMにしか出してないみたいで情報が少ないが、DVD x8、CD x24の読み込み速度らしい。

別に使いやしないのだが、このまま放置するか、外して別のものをいれるか。BD-Rドライブでも入れてみるか、変換アダプター噛ませてSSDでも入れてみるか。

その他の拡張

せっかくだから、拡張スロットは(さしたる意味がなくても)埋めてみたいという気持ちはある。

SDカードスロットは、完全に入るタイプなので使いやすい。簡易なストレージ増設はここか。

eSATAコネクターなんてものもあり、+USB、なんて書いてある。どっちも挿さる兼用コネクターらしい。しかしeSATA自体がもう負けが見えてしまったから、どう使ったものか。

ほか、ExpressCard/34のスロットもある。これまた負けが決まったような規格で、私自身初めてついてるものを手にしたが、何に使うか。USB 3.0を増設するのがまあマシな選択か? 世にはExpressCardのSSDがあるとも聞くが、もう買えそうにない。Ubuntuで使えるかもわからない。

Ubuntu 16.04 LTSインストール

母艦PCでインストーラーUSBメモリーを作って、インストーラーを走らせた。

特につまる所はなかった。初めてFreeBSD(98)を触った時はインストールから何度も失敗したのにな……

インストール中にキーボードレイアウトを選ぶところがあり、日本語を選んでもなぜか特殊記号のアサインがずれていて、英語キーボードと誤認されているのとも違う不思議な誤入力が起きていたが、これはインストールが終わると正常になった。

WiFi関係

WiFiまわりには多少トラブルがあった。

突然切断される、スリープから復帰するとつながらないなど不安定さが目立つ。ルーターを見つけているけど認証できない、認証しているけど通信しない、ルーター自体を見つけられないなど症状も不定。

悩んだが、AmazonでCentrino Advanced-N 6200のモジュールを売っているのを見かけた。

Lenovo/HP純正 Intel Centrino Advanced-N 6200 無線LANカード(FRU P/N 60Y3231 HP SPS:572509-001) Lenovo/HP純正 Intel Centrino Advanced-N 6200 無線LANカード(FRU P/N 60Y3231 HP SPS:572509-001)

1800円なら間違ってもいいか、と思って注文。

Mini-PCI Expressスロットに挿す。L412ではパームレスト下にあるので、サポートの分解手順にしたがって開く。アンテナ線を外し、古いモジュールを外し、新しいモジュールをつけてアンテナ線をつなぎ、パームレストなどを戻していく。メンテナンス性がよくて助かる。

交換した結果、実に安定して通信するようになったので、やはりもともとついていたモジュールが不調だったようだ。

なお、Centrinoは世代の違うものを混ぜても動かないらしいので、おそらくこのArrandale / HM55 / N6200という組み合わせ以外はダメ。

日本語入力・キーボードなど

私はWindowsでは、「入力中文字列がないときは変換キーでIME On/Off、あるときは変換」と割り当ててあるのだけど、UbuntuにMozcだと、入力中かそうでないかの区別がない。よって、変換キーにIME On/Offを割り当てると、変換しようとするとIMEがオフになる。

仕方なく、半角全角キーにIME On/Offをアサインした。

まあThinkPadというだけあって、L412クラスでもキーボードの質はまずまず。これくらいなら特に文句はいわない。

ただ、Delキーがキーボード右上端にないのはちょっと納得いかない。右上にIns / Del / Home / Endと並んでいる。Home / End / Ins / Delならよかったのにな。Page Up / Dnがカーソルキーにくっついてるのもちょっと好きでない。

トラックポイントは、やっぱり良い。

よく使うアプリ

aptコマンドって便利なものだなあ、と思いながら、あれこれ入れている。

アプリケーションセンターは、やりたいことに対してどういうアプリがあるかわからない時に便利。

ブラウザはchromium。Googleアカウントとの連携まで含めて、Windowsで慣れたchromeと変わらない感じ。ただchromeと違って、閉じて立ち上げると最新版になっているようなアクティブな更新はしないらしいが、どうするんだろう。アプリケーションセンターから更新されるんだろうか。

Twitterは、いくつか試してCorebirdになった。私の希望するクライアントは、ブラウザ版とほぼ同等で、アカウントの切り替えだけすぐにできればよいのだけど、アプリケーションセンターで見つけた中ではCorebirdが一番希望に近かった。

クラウドは、OneDriveを使った。以前書いた記事参照。

IRCクライアントは、結構迷ってLoquiというのにした。他のものは、日本語サーバーじゃまともに使えないものやら、インターフェースがまったく理解できないやら、いくつかハズレを踏んだ末、Windows育ちの私にとって常識的に思えるインターフェースで日本語が使えるのがLoquiだった。

問題はテキストエディタで、Ubuntu使うならVimなりEmacsなり使えるべきではないかと思いつつも、さしあたりシンプルに何も考えずに使えるLeafpadを使っている。Vimなら使えるかもしれないからしばらく試してみる。

distributed.netクライアントは、公式サイトからLinuxのAMD64/ELFをダウンロード、dnetcファイルのあるフォルダで端末を開き、sudo cp dnetc /usr/bin/ とした。あとは端末でdnetcで実行。

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大多喜(OLYMPUS XZ-2) http://blog.sfrenatezze.com/archives/755 http://blog.sfrenatezze.com/archives/755#respond Sat, 20 Aug 2016 14:24:24 +0000 http://blog.sfrenatezze.com/?p=755 御城プロジェクトREにひっかけて城巡りするシリーズ、前回の宇都宮城に続く第二弾である。

今回は、現在実装されている城の中では唯一千葉県にある、大多喜城に行くことにした。(小田喜城もいるが、小田喜城を元に本多忠勝が近代化改築したのが大多喜城なので、およそ同じ城といってよい)

東京からだと宇都宮よりも大多喜のほうが距離は近いのだけど、しかし鉄道の便は雲泥の差。宇都宮だと適当にでかけて来た電車に乗れば成り行きで着けるけど、大多喜となると……

早いのは、外房線で茂原まで来てバスでいくルートのようだけど、私は鉄道乗りつぶしも趣味にしているから、いすみ鉄道を使いたい。

調べてみると、6時起きで出かければ、9時25分には大多喜に着ける、とわかった。辛いというほどではない。1本遅れると11時13分着まで2時間ずれるようだが。

でまあ、当日になってみれば5時に目が覚め、たっぷり余裕を持って出かけることになった。

大原駅

大原駅には8時頃到着。8時58分発の大多喜行きに乗る。

大多喜にいくなら、内房側から小湊鉄道より、外房側からいすみ鉄道がまず確実に早い。

線路は小湊鉄道といすみ鉄道が繋がってはいるのだが、どちらも終着・接続駅の上総中野駅までいく列車が少ない。特に小湊鉄道が顕著で、一日5往復しかない。逆にいすみ鉄道は、全列車が少なくとも大多喜まではいく。

いすみ鉄道側の駅舎は、ほとんどまるごと売店になっている。いすみ鉄道といえば、名物社長さんがあの手この手で人を面白がらせて乗客を集めているローカル鉄道で、駅舎を遊ばせておくわけがない、ってとこだろう。

いすみ鉄道の切符は、各駅までの他、いすみ鉄道の1日乗車券が1000円と、房総横断切符1700円がある。1日乗車券だと小湊鉄道には当然乗れない。房総横断切符は両方乗れるが、途中下車はできるけど折り返すことができない。

今回は抜けるつもりなので、房総横断切符を購入。

まだ時間が小一時間あったので、駅の周りを一周りしてきた。

賀茂神社

賀茂神社があった。特に由緒書きなどなかったが、この辺の氏神さんで、やはり京都の上下賀茂神社の分祀だろう。

のどかな漁港の朝の空気を吸って、ポケモンGOを起動して歩いていたら、なぜかほとんど一箇所にイーブイ3匹コラッタ2匹が固まってたりして、まあともかく汽車が来た。

ムーミン列車

おや、ムーミン列車だ。

まあ、ちょっと観光にしても早めの時間ということもあり、空いていた。観光シーズンになると、満員で乗りきれないほど混雑することもあるらしいけど、そんなに集客してるんだなあ。すごい。

大多喜駅

そんなに長い時間でもなく、大多喜駅へ。

大多喜駅顔看板本多忠勝発泡スチロール像

大多喜は本多忠勝大プッシュ。まあ、これほどのビッグネームがいればさもありなん。

忠勝ほどの猛将が、なんで大多喜に置かれたのかな、とも思ったけれど、館山の里見氏への抑えだったのかな。北条とケンカし続けて、苦しみつつもついに房総を守りぬいた家だし、一応譜代大名ったって小田原征伐くらいからの新しい間柄だから、家康から見て「暴れだすと嫌な相手」くらいの認識はあったのかも。

天然ガス記念館

駅前、いきなり大多喜町天然ガス記念館がある。

関東の人には常識かもだけど、千葉県は天然ガスを産出する、日本には珍しい土地。大多喜町で発見された水溶性ガス田をもとに、関東天然瓦斯開発という会社が立ち上がった。この記念館もその会社による。

無人のパネル展示施設だけど、天然ガスの成り立ちから地層の話、産出量や利用法、醤油蔵の山崎屋が大金はたいて井戸掘ったら濁った塩水が出て、がっかりしてタバコ投げ捨てたら炎上したことでガスだとわかったという歴史やら、色々展示してある。なかなかおもしろい。

天然ガスとしてもメタン99%と純度が高く上質、またガス田の潅水からは実に世界の30%もの埋蔵量があると見られているヨードが出る。ヨード生産は世界1位がチリ、2位が日本だそう。また、ヨードを取った後の潅水からは液体肥料になるかん水フルボ酸も取れるとの話。

明治時代にも、房総では海藻のかじめを焼いて灰からヨードをとる産業が行われていたもので、城山三郎の小説と、ながいのりあきによるコミカライズ「男たちの好日」で知られる。しかしまさか、かじめ焼いてるその地面の下に大量のヨードが眠っているとは思わなかったのだろうなあ……

大多喜町観光本陣

そのとなりに、観光本陣。観光案内所。

小林一茶が大多喜に来たこともあって、「山中に楽しく暮らす武の下」という句を詠んでいったそう。俳句詳しくなくても一茶の句って、肩の力が抜けすぎて外れそうな感じがしてわかりやすいわ。

中では地図や近くの観光地・イベントなどのチラシを配っていたり、物産の販売があったり。小腹空いてたので、マドレーヌを買って、席を借りて食べた。

藤田邦子人形

藤田邦子さんという作家さんの人形が多数。

おたっきー

大多喜町のゆるキャラ・おたっきー。言葉の意味は変遷していく。

オタクという言葉ができた後、趣味はオタクなんだけどDCブランドでファッションもキメてて女性にもモテる人たちのことを、みうらじゅんがオタッキーと呼んだ、それが1989年のことらしい。知らなかった。形容詞化じゃなかったのか……

房総中央鉄道館

天然ガス記念館の脇の道(これがかつての大多喜城大手通だったらしい)を降りて行くと、房総中央鉄道館というのがある。

中は大きな鉄道ジオラマと、多数の古い鉄道用品が展示されている。一部は販売もされていた。もちろん主に房総の鉄道のもので、いすみ鉄道が国鉄木原線だった時代のものなど多く見られた。

私は強いて言っても乗ったことない路線に乗るのが好きな乗り鉄とかろうじて言えなくもない程度だから、設備や用品、鉄道模型はあまりわからんのだけど、詳しい人なら驚くようなものもあるんじゃなかろうか。

あと、なぜかショーケースひとつ、プレデターでいっぱいだった。あれなんだったのかな。

で、観光本陣で貰った地図を見ながら、かつて城下町の街道として賑わったらしいところをぶらぶら歩いて行く。

渡辺家住宅

道沿いに、もう見るからに歴史あるような建物がいくつも並んでいる。

これは国指定重要文化財の渡辺家住宅。1849年に建てられた商家で、この時代の上層商家の規模や造りがよく示される資料だそう。

伊勢幸

2軒先に、酒屋の伊勢幸さん。国の登録有形文化財。廃藩置県のときに大多喜城の大手門部材で建てたと。

釜屋

向かいに土蔵造りの釜屋さん。別に文化財指定とかなくたって、こんなのがいくつもいくつも。

また、昭和レトロ調というかほんとに昭和からそのままらしい建物も複数あって、今となっては十分歴史的。

近くに、中が展示施設になった商い資料館というのもある。古い商家が、二階にまで上がれるようにされて、当時の商売用具などを展示している。(まさかの外観撮り忘れ)

商い資料館二階

商い資料館の二階はこんなの。こんな梁は見たことない気がするけど、なにか特徴があったのかな。

上総袖凧という独特な凧が写ってるのだけど、大多喜には出世凧揚げという風習がある。商家の子供が初節句を迎えると、組合の人が凧を上げて、親に「おめでとうございます」と糸を手渡す。それから凧の糸を切って、飛んでいった凧を人々が追いかける。凧を持って戻ると、それと交換にご祝儀の酒肴が振る舞われ、おめでたいことのおすそ分けをもらえる。

豊乃鶴酒造

豊乃鶴酒造の、これは店舗かな。これまた国の登録有形文化財。

今も酒造りも、販売もやっている。「大多喜城」という銘柄でやっている。

大多喜城・特別純米酒生貯蔵酒を買ってきて、今飲みながらこの記事を書いてる。味はしっかりあるけど、アルコールの当たるような感じがすごく少ないスムーズな飲み口。私こういうタイプ好きだな。美味し。

大屋旅館

大屋旅館。登録有形文化財。まだあるのか……

脇に鳥居が見えてるけど、これが夷隅神社の鳥居。

夷隅神社

夷隅神社拝殿。素盞鳴尊が祭神。創建時期は不明だけど、1041年に再建された記録がある。1587年、戦国武将の正木時尭が再築した。その頃は牛頭天王社だったらしいけど、明治のはじめにイシミ神社(PCじゃ出なさそうな漢字)と改称。今では縁結びの神様らしいけど、その由来はちょっと見当たらず。

右手に車が止まっているけど、そっちの方が空き地になっていて、朝市が開かれて野菜などが売られていた。5・10のつく日に開催で、ちょうど20日だからやってたようだ。

良玄寺

良玄寺。本多忠勝が大多喜に入った時に、菩提寺として了学という僧を読んで開いたお寺。着色本多忠勝画像が伝来していて、それが千葉県指定文化財。

本多家墓所

裏手に忠勝公園とされる小さな庭園と墓地があり、墓地の一番奥には、忠勝・忠勝夫人・忠朝の墓所がある。

忠勝は大多喜から桑名に移封されてそっちで亡くなっていて、桑名にも墓地があってこちらは旧領に分骨した。忠朝(忠勝の次男)は忠勝の次に大多喜を領地にしていたが、大坂の陣で戦死した。天王寺の一心寺に葬られているが、こちらも分骨。忠勝夫人は、どうも忠勝じゃなくて忠朝についてたらしく、忠勝移封後も大多喜に残って、ここで亡くなったそう。

寺も墓も仰々しくなくて、本多忠勝のイメージに似合う。

宍倉邸

順番前後するけど、夷隅神社裏手の宍倉亭。登録有形文化財。

ほんと、ただ歩いて一周するだけなら20分で回れるような小さな町に、重文ひとつに登録有形文化財よっつもあるなんて。そういうステータスだけでなく、景色も雰囲気も独特の感じがあったな。

さて、町を楽しんだので、大多喜城に向かう。

大多喜城薬医門

いすみ鉄道の線路を超えて山手に。地図にしたがって歩いて行くと、なんだか大多喜高校の方へ行った。入っていいんだろうかと心配になったけど、ともかく多分高校の敷地内に、大多喜城薬医門。

大多喜城は、ほとんど跡形もなく破却されてしまっているのだけど、この薬医門が唯一残る建造物。廃藩置県で城を壊す時、城山に水道を開削した大高半左衛門という人に払い下げられていたが、大正15年にその曾孫の方が大多喜高校に寄贈した。その方は、1900年開校の大多喜高校第一期生だそう。

大多喜城遠景

城が見えてきた。

大井戸

そして大多喜城の名物といえば、この大井戸。本多忠勝が城といっしょに作った井戸で、底知らずといわれる。まあ現代技術で深さは調べられていて20メートルらしい。周囲17メートル。当時は井戸車を16個も使っていたとか。

現存する城内井戸としては日本一のもの。御城プロジェクトでも、大多喜城の計略として登場する。

大多喜城天守閣

大多喜高校を横断すると上り坂が見えて、上がっていくと無事、天守へ。

見ての通り、というとなんだけど再建天守。絵図面や、築城当時の天守閣の一般的スタイルなどから考証して建てたそう。

中は千葉県立博物館の大多喜城分館となっている。かつて小田喜城と呼ばれ武田氏が入り、正木氏が入り、そして本多時代から安倍・青山・稲垣・松平と続くお城の歴史とか、城下町にまだ国鉄木原線もなかった時代は人車鉄道が走っていたことなど、あれこれと。

出たら11時半ごろ。渋谷のほうが豪雨だったらしいが、大多喜も結構強い雨が降ってきた。が、10分くらいで止んだ。

駅に戻ると、ちょうど上総中野行きの発車10分前だったので、さっさと乗車。

基本は単行のいすみ鉄道だが、今度は二両編成。いすみ鉄道がよくやってるイベント列車が連結されていて、今日はレストラン車両だったそうだ。その絡みだろうか、なんと車内販売がきてくれた。すごいな。

いすみ鉄道レストラン列車

レストラン車両はキハ28、通常車両はキハ52とあった。

上総中野駅

上総中野駅。なおこれはホーム側から撮った駅舎だけど、なんか内と外が似たようなデザインした駅舎。なんか不思議。

駅前に観光案内図があったのだけど、たけのこ狩りとか、ゴルフ場とか、7km離れた大多喜城とか、だいぶ長い駅間あるはずの隣駅の養老渓谷温泉とか、どうも歩いて行けるようなスポットが見当たらない。

しかし、うっかり大多喜駅で慌てて乗り込んだ車両、平日ダイヤなら小湊鉄道に接続するが、休日だと2時間待ちになる車両だった。

とりあえずあたりを徘徊。

光善寺

光善寺。大きな寺って感じじゃないけど、歴史を感じる山門がある。

ただ、石段が乱れていたり、雨上がりで滑りやすいのにコンクリート舗装の急坂があったり、かなり足元が不安。お寺からさらに上がっていくと、七面山展望台というところに行けるらしいのだけど、転びそうで怖くて断念。

中野山水神社

中野山水神社。中野の村の氏神様だろうと思う。

バス停

神社前のバス停。田舎アニメに出てきそうな雰囲気。

国道465線が折れているところに、「養老渓谷温泉までもうすぐ」というような看板があったんだけど、これ車でもうすぐであって、徒歩だと一時間以上かかるはず。現地でそう思って、今地図で見なおしてもやっぱりそう。

駅すぐのところに、手打ちそばの看板をかけた飲食店があり、そこに入ってざるそばと焼肉丼のセットをいただき、冷房で身体を覚ましつつ1時間くらい過ごした。

それから、上総中野駅の駅舎に、駅ノートがあったりとかもして、それを眺めて時間を潰したり。

なんだかんだで2時間過ごして、やってきた小湊鉄道に乗って帰路へ。

小湊鉄道

小湊鉄道の車両。

これで五井駅まで乗って行ったのだけど、私のスマホはSIMフリーで掴める電波が足りないのか、上総大久保駅から飯給駅あたりの区間で県外になっちゃって困った。ステーションメモリーズのチェックインが抜けそうでヒヤヒヤした……

 

今日のカメラはオリンパスXZ-2だった。借り物。

一時期けっこう欲しかったカメラだったもんだけど、まあ今使ってもなんら不足のないカメラではある。

しかし、なんか結構でかい。特に電源ボタンの位置はこれ、私くらいでかい手ならいいけど、大抵の人には遠すぎるんじゃないかな……

露出補正ダイヤルはちょっと意図せず回りがちだったり、Fn2レバーやらボタンが多めだけど、なんかメニュー項目の多さやら、どの設定がどこにあるかなんかピンとこないとか、なんだろう、これあんまり操作性よくないんじゃないか?と思えてくるような……

まあ、Eシリーズ使ってたりしてオリンパス慣れしてたら違うのかもしれない。

AEの感じも、ちょっと私の感覚からすると、空に引っ張られてアンダーになりすぎるように思えた。まあ露出補正まわしやすいし、引っ張られ方が素直で読みやすいから、ダメとは感じなかったけれど。

多分慣れとか、メーカー間の流儀の違いだろうけれども、PENTAXべったりの私には、微妙に齟齬を感じるカメラであったなあ。性能に文句はないのだけど。

多分中身がほぼ同じ、PENTAX MX-1の方なら、操作性もしっくりくるだろうから、もし自分で買うならこっち。うん。

 

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