バジルは引っ越しました

東京発信州経由大阪行 125ccスクーターと共に (3)

投稿者: 無謀庵 / 2016年10月22日 - 12:36 / カテゴリー: バイク, 徘徊記

さて、名古屋あたりの友人宅で昼前までゆっくりして出立。

大阪方面に向かうなら、まあ素直に行くなら名阪国道なのだけど、前に使ったことがある。私はいちいち違うルートで通りたいタイプ。

中継地点をGoogle mapsに打ち込むと、国道421号で石榑峠経由の案内が出た。かつては近畿屈指の酷道だったが、鈴鹿山脈を突き抜けるトンネルが開通して大幅に改善して快走路になったらしい。が、快走路ということは、坂道に弱すぎるアクシストリートだとまたトラックに煽られたりしそうだ。

国道306号鞍掛峠は、こちらは地図で見ても明らかにぐねぐねした道だけど、案の定、通れるほうが珍しいという道になってるそう。

今回は、鈴鹿を越えた先の都合がいいこともあり、旧鈴鹿スカイラインの国道477号でいくことにした。

湯の山温泉の脇を通り抜け、がらっがらの山道をまったりと登っていく。ほとんど全開でもまったりになるのだが。

なんで道端の何も施設もないところに駐車場があるんだろう、と不思議に思いながら通り過ぎたが、御在所岳に登山する人向けかな。

なにしろ空いていて、そこそこ道もスラロームで、まあ単車で走るには気持ちいいとこだったので、寄り道もせず写真も取らずに突っ走った。

ちょっと気になったのは、野洲川ダムの水がずいぶん少ないように見えた。東京だと先月雨じゃない日のほうが少ないくらいしつこく降水してたけど、鈴鹿は降らなかったのだろうか。

野洲川ダムを超えると、国道477号は琵琶湖の方へ向かっていくが、私の目的地は違う。県道9号線へ移って、青土ダムがちょっと観光呼べないかと色気出してる感じなのを見ながら通り過ぎ、国道1号東海道に入る。

水口城

水口城乾櫓

東海道が近江鉄道と交わる辺りに、水口城がある。

元々東海道沿いということもあり、自然と人が集まるこのあたりには街ができていた。秀吉も城を建ててさらに発展。家康時代には幕府直轄領とされ、東海道の宿駅に設定された。

そして、家光上洛にあたって、水口に宿館を作らせたのがこの水口城。合戦するつもりの城ではないのは、防御効果低そうな、ただ四角く堀を切って石垣を囲ったようなあっさりした本丸の感じからもわかる。

しかし、小堀遠州が張り切って作ったそうで、本丸の中には将軍の入る御殿が作られていた。二条城をモチーフにした凝った御殿だったとかで。

おそらく公民館があるあたりが二の丸らしくて、後に加藤明友(嘉明の孫)が入城して水口藩が開かれてからも、本丸はあくまで将軍のためのものとして管理。政務などは二の丸でやっていた。たしか宇都宮城もそんな話だったな。

なお、秀忠以降ずっと御殿は利用されることなく、加藤氏は幕府が終わるまで使いもしないお館を守り続けました。おーい……

四角の縄張りにちょろっと突起した出丸があるのだけど、現在の主な出入りはそこから。写真に写っているのもその出丸で、櫓も25年ほど前に復旧したもの。

この櫓が水口城資料館になっている。

え、出丸だけ? って思うのだけども、本丸の方は近くの水口高校がグラウンドに使ってるみたいで。

水口城櫓

では資料館に……と思いきや、まさかの木金休み。月曜休みか、さもなくばお役所仕事の土日休みがありがちなこの手の施設で、木金なんて変なタイミングで休んでると思わんわ。

意外な堅固な守りに阻まれ、すごすご撤退する私である。

水口城石垣

せっかくだから、小さい城だし本丸を一回りしてきた。写真は北西側石垣。これは当時モノらしい。

堀は、特に川などから取水してないのに水が枯れない不思議なお堀、ということで、水口城はこの水にちなんで碧水城とも呼ばれる。

今回は単車で来ているけれど、すぐ近くに近江鉄道の水口城南駅があるので、徒歩でのアクセスが辛い城でもない。

和束の玉露

さて、めし食いたい時間だったが、せっかく来たのに追い返された腹いせに、水口じゃなくて次の街で食おうと決断。

水口の南側、野洲川沿いの広いエリアに広々としたショッピングセンターがあり、なかなかの賑わいであったのだが。

この後、国道307に沿って信楽の方へ向かって、久しぶりに信楽焼でもちょっと見ていくかなあと思ったものの、なんだかどうもこう、国道沿いにある店がどれも微妙にピンと来なかったので通り過ぎてしまった。SKRと徒歩で来た時は趣あるところも多かったのだけど、国道沿いはちょっと俗化しすぎなような……

で、道は快走なのだが、信楽を過ぎると山奥モードで飲食店なんかなくなってしまった。

ナビに従って国道を離れて県道5号に入り、和束町に来たところで「茶房 竹の子」という店を発見して突入。

なお、Twitterで「宇治に入った」と書いてあるけど、宇治市に入ったわけではなかった。和束が宇治茶の産地なもので、宇治茶を出すなら宇治だろうと思いこんでいた。広義の宇治地域ではあるかもしれないが。

宇治茶の産地にまできてお茶も飲まずに帰るのはないので、玉露を頼んだ。

和束という地名はあまり知られていないが、宇治茶といって出荷されてるものはかなりの割合で和束産、また味も良いものだそう。現地では日本一といっていたが、これは主張なのか客観的事実があるのかわからない。

急須に茶葉、水指に熱湯が2杯分ほど、それに湯呑み。こういう時は一度湯呑みに出して温度を下げてから急須に。静岡で勉強してきたからわかる。俺は詳しいんだ。

で、飲んでみるとちょっと、緑茶と思って飲んだら、苦味渋みを完全にマスクしてしまうほど強烈な旨味。そこらで玉露っつって飲めるお茶は、ここまでの味じゃなかったぞ。

お茶の味成分は、根で合成した旨味成分のテアニンが葉の方に移って、日光を浴びて苦味成分のタンニンに変化する。なのでここ和束や、あるいは静岡だと天竜茶あたりは、山がちな土地の斜面で栽培するから日差しがあたりすぎず、旨味の勝った茶ができる。

玉露は、栽培中の一時期に覆いで日差しを切ってますますタンニンを抑制する栽培法をとるもの。茶の品種も特にキャラの強いものを選ぶらしいが、それでここまで旨味一色みたいな強烈な味になんのだなあ。(すごく正直に言えばほろ苦くて爽やかなお茶のほうが好きとは思ったけど)

興味深く飲んで、山を降りると木津川。いよいよ奈良だ。

飯盛山城

奈良は一度は住んだ心のふるさとではあるのだけど、しかしまたすぐ来れるので今回はスルー。

四條畷と生駒のあいだに立つ、飯盛山城へ向かった。

三好長慶の居城として大阪府下の城としてはかなりのビッグネームのはずが、なぜだか行ったことがなくて、なんでだっけと思ってたら、場所が不便過ぎるのだった。

四條畷市だといっても、車で行くなら生駒の方からアプローチすることになる。

阪奈道路からそれて、近くの大学のグラウンドがある細い山道を上がっていくと、第当市立青少年野外活動センターがある。

その先の道はもう車の幅いっぱいみたいな登山道に見えたので、センターに立ち寄って飯盛山城を見に来た旨を伝え、単車を置かせてもらうように頼むと、「車で上までいけますよー」ときた。それと、センターで三好長慶関係の資料を配ってプッシュしていたので、ありがたく頂戴した。

楠公寺

で、もしかしたら舗装されてたかもしれないけど年月が土に帰した感じの道をこわごわ登っていくと、途中に楠公寺という小さなお寺がある。飯盛山城は巨大な山岳城なので、ここはすでにかつての城郭内だったようだ。

駐車場があるので、停めさせてもらって参拝して、もう少し歩いて登る。ほんの五分くらいで山頂。

飯盛山城跡 楠木正行像

山頂には城跡の碑と、楠木正行像。

楠木正行、小楠公が飯盛山城を居城にしたとかいうわけではないが、麓の四條畷の戦いで亡くなったので。一応南朝方の武士が飯盛山城へ入って戦ったらしい太平記の記載があるけれど、そもそもこの頃は臨時の砦くらいじゃないかとも。

飯盛山通信施設跡

この廃墟一体なんだろう。旧軍の通信施設跡とかだろうか。

飯盛山からの眺め

眺望はこんな感じ。

山岳城には珍しい石垣があったりとかもするが、やはり飯盛山城をしっかり楽しむなら徒歩で登山道を攻める必要がありそう。山頂には正直もうなにもない。

飯盛山FM送信所

ちょっと南側にもうひとつ高台があり、かつては千畳敷郭があり、今はNHKとFM OSAKAの送信所になっている。

ただ、野外活動センターでは「楠公寺かFM送信所のところにちょっと車停めるくらいは大丈夫ですよー」と簡単に教えてくれたのだけど、楠公寺はともかくFM送信所への道は激坂。

ギア付きのバイクとかならともかく、遠心クラッチのスクーターだと厳しすぎる。全開でもクラッチ繋がりきらず、半クラのまま停止しちゃうから必死で足で蹴って上がる。数分で着いたからいいものの、クラッチが焼け焦げる臭いが立ち上る状態に。やばいなあ……

放送塔以外に何か目立つ遺構があるでもなし、そもそも楠公寺から5分も登れば着く程度だから、ここまで乗り込まないほうがいいと思うな。

帰着

あとは自宅までまっすぐ帰った。

それにしても、よそにいってわかる和泉ナンバーの運転の悪質さよ。こちらが小型の乗り物乗ってると攻撃してくるのが和泉ナンバーで、「わざとしばらく煽ってから追い越す」「右車線あいてるのに左車線内でぶつけるギリギリを追い越す」「追い越した直後に交差点を左折する」「車線変更するときはバイクのいるところに幅寄せして前に入る」といったろくでもない攻撃的運転を仕掛けるのは、和泉じゃ当たり前だけど、奈良より東でそんなのほとんどいないよ。

帰ってきて最初に思うのがそれってのも何だけれど、まあ信州から美濃、甲賀に飯盛山と満喫してきた三日間だった。

 


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