宇都宮とQ 02 STANDARD ZOOM純正フード
今週は宇都宮を徘徊してきた。
最近御城プロジェクト:REをやってるのだけど、うちでは宇都宮城も押しも押されぬ主力の一角。ちょうど東武宇都宮線もJR東北本線も乗ったことがないので、乗りつぶしがてら宇都宮城の現物も見てこようとした。
時間があったら宇都宮の東の方にある飛山城にも、と考えつつ出立。
今日のカメラはいつものPENTAX Q-S1だが、今更ながら02 STANDARD ZOOMに純正フードPH-RBB40.5をつけた。
東武線は特急しもつけというのが宇都宮に直行している……と思ったら、あいにく夕方にしかない。仕方ないので、伊勢崎線で北千住から東武動物公園、日光線に乗り換えて新栃木、宇都宮線に入って東武宇都宮と乗り継いだ。
関西人の私には、大体どこにいっても山がどちらかには見えている、というのが慣れた景色なのだけど、東武線の車窓に広がる北関東の景色は、海も山も見えずにひたすら平野が広がっている。広大だ。
東武宇都宮駅、なぜか2番線と3番線しか見当たらない。1番線はどこにあるんだろう、と思ったが、今側線だけになってるところが以前1番ホームだったらしい。
栃木県最大の都市である宇都宮の、それもJRより中心市街に近いところに駅があるのに、意外にこぢんまりした駅だ。
駅近くに観光案内所とかあるかと期待したけど見当たらず。ありゃ。
しかし今回は下調べも多少していたので、まず駅近くのカトリック松が峰教会へ。ロマネスク様式で建てられた、現存最大の大谷石建造物。これは美しい建物だ。
とはいえまあ耶蘇教の信仰もないので、ずかずか上がり込むのも気が引けたので写真だけ。
この写真は結構にフードの効果が出てる感じ。Qのレンズは単体で使うとどれも、意外に逆光に弱いところ見せがちなのだけど、こんなところに太陽あってこの写りならかなり改善されている。
で、少し北上して、宇都宮の中心市街地であるらしいオリオン通りへ。
すんげー昭和感あふれる映画のヒカリ座ビル。しかもやってる映画がゲージツ系だったり社会派だったり。宇都宮に住んでたら通うなあ。
ちなみにオリオン通りにはアニメイトなどその手の店の集まったビルもあり、サブカルチャー族にも居所のある街。
アンテナショップもあった。二階で食事できそうで、餃子ナンピザなる、多分ナン生地で餃子の種を具にしたピザなのだろうけど、気になりつつも、まず一旦普通に餃子を食いたい。
この商店街の雰囲気はなんだろう。どこかで見たような雰囲気だけど。和歌山のぶらくり丁かと思ったけどちょっと違うか。
私鉄とJRの中心駅をまっすぐ結ぶ通り、両端の駅には大型ビルがあってブランドショップや家電量販店、商店街は広々としてしっかりアーケードがあり、飲食店や個人商店が並ぶ。ちょっと離れてしかし遠からぬところに市役所や県庁など公共施設や学校。なんかよくできた感じの街造りだ。
けれど、さっきのヒカリ座のような味があるレトロはいいとして、単に昭和で時間が止まったような店やら、廃墟みたいになった住宅などが駅前にも残ってたりして、やっぱり東京に活力吸われつつある街かなぁ、とも。
さておき、探すところ悪かったのか、意外に餃子出す店が少ない。んん。
とりあえず次の目的地、宇都宮二荒山神社へ向かっていく途中、大通りのドンキホーテが入ってるビルの地下に、餃子屋の集合したフードコート「来らっせ」があると貼り紙を発見。
定番の5店が入っている方と、それ以外が入れ替わりで入ってる方のふたつにわかれていて、定番の方へ。
まず龍門のセットメニュー500円を注文。
なんというか、普通。別にハネがどうとか形や見た目にアピールがあるでもなく、特異な味をしているでもなく。普段ラーメン屋とかで食べるものに比べると、味付けは抑えめのあっさり味。
宇都宮は餃子の購買金額が全国でも飛び抜けて高い、つまり普段からいつも餃子を食べてる街なんであって、何か特異な餃子で一発ヒットしたとかではない。だから、こういう普通であっさりめの、毎日でも食えそうな味がいいとされるのかも。
セットメニューのごはん、特に大盛りを頼んだわけでもないのにかなり多め。明らかに餃子に対して多すぎる、ということは、追加で別の店のものも1~2枚楽しめということだろう。
さつきのさつき餃子を一枚追加。260円だったかな。しかし追加は早めにしないと、焼き待ちが生じてしまった。少し失敗。
さつきの餃子は、龍門よりさらにあっさりした薄味。一方で、皮がしっかりしていて、合わせ目は焼き固められたような噛みごたえにしてあった。どっちが美味いという甲乙はつけがたいな。
値段も安くて、なるほどこんなのあったらしょっちゅう食べるな。
さて出るとすぐ目の前に、宇都宮二荒山神社の鳥居が見える。木肌の色でもないと思うけれど、なんか珍しい色だな。
祭神は豊城入彦命。崇神天皇の長男で、帝の命で東国平定にきたことがあり、その子孫である奈良別君が下野国造になったときに祀ったのが始まり、とのこと。
最初は別の場所で、838年にここに遷座した。藤原秀郷、源義家・頼朝、家康など様々な武士の崇敬を受けた。
後で宇都宮城址で解説ボランティアのおじいちゃんから聞いたのだけど、宇都宮城は、前九年の役に従軍して功績をあげた従軍僧だった藤原宗円が二荒山神社の座主になり、住居を兼ねて城を建てたのが始まりとの話。藤原宗円から三代目から、宇都宮氏の姓を名乗るようになった。
戦国時代にも宇都宮広綱とか国綱とかは信長の野望なんかで見かける名前だけど、彼らは神職やりながら大名やってたようだ。いわゆる社家。社家の大名といったら他に阿蘇氏とか宗像氏とか、あとは高橋紹運なんかも。
丘を上る階段の途中、一段あって摂社が並んでいた。色々あったが、酒の神様ということで松尾神社には念入りに手を合わせた。うまい酒が飲めますように。
門もご立派。さすが下野一の宮。
虚飾なき三間流造の渋い拝殿。古社はこうでないと。
さて、御城プロジェクトREの宇都宮城には、鉄狛というオプションがついているのだが、本物の鉄製狛犬が二荒山神社にいる。といっても現役ではなく、敷地内の二荒山会館の中で展示されている。
狛犬といったら普通は唐風の猛々しさがあるものだけど、この鉄狛は写実的というか、普通の犬のような格好。野犬っぽさのない飼い犬らしい、どうにもカドのない見た目をした、かわいらしい狛犬。
それから、境内に蒲生君平の顕彰碑があった。寛政の三奇人のひとり。天皇陵の研究者で、あれこれ陵をめぐって比定作業を進め、また前方後円墳という言葉を生み出した。
後に宇都宮藩は、カネもないのに天皇陵の修復事業に乗り出したりもする。偉業である。が、まあ、円墳を前方後円墳に作り変えたりとか少々無茶やろっていうような修復をやっちゃったりもしてたはずだが。
神社を出て、釜川という川沿いの道を、今度は南下。
まちなかをずーっと横切ってる川で古くからあるのだが、上流で開発が進むと洪水起こすことが出てきたので、二層構造河川に回収された。暗渠の上にある程度の水を流してるような造り。
小さな川だけど川沿いに店もあり、若山牧水の碑があったりもして、完全に潰してしまうには忍びない、馴染みの川であるようだ。
でもってどんどん南下して、宇都宮城の北側にぶつかった。
これは清明台という櫓。宇都宮城本丸を囲っていた堀と土塁が半分弱ほど復元されており、櫓も五つあったうちふたつは復元されている。
宇都宮城は、江戸時代には将軍が日光東照宮に参拝するときの宿所にされていて、本丸の中には天守閣ではなくて御殿があった。
本多正純が入った時に大規模な拡張が行われ、四の丸まで広げて拡大、川を引き込んで堀を増やしたりして、その掘削で出た土で本丸の土塁を築いた。土塁にはさらに杉の木が多数並べて植えられて、将軍が入るための目隠しにされていた。城としては特異な造りしてるように思う。
本丸が将軍用なもんで、宇都宮城主は二の丸に居館を作っていたそう。本多正純以前は普通に天守閣があったのか、それは聞いてみたけど記録がなくてよくわからないらしい。北条・上杉のおかげで戦乱が激しかったところで、宇都宮氏もキツくて居城を多気城に移したり、城下まで武士や日光の僧兵に焼き払われたりで、だいぶ大変だったようだ。
奥州街道と日光街道が交差する交通の要衝でもあり、二荒山神社の歴史的意味合い(崇神天皇時代の東国平定の象徴)もあり、秀吉が小田原征伐後に奥州大名への仕置をやった城でもある。まあ大きい平城だから政治用には使いやすいとかもあったのかなあ。
江戸時代には奥州からの反乱を抑える要の城でもあり、北側に寺や町を集めて守りの固い城にしていたのだけど、いざ戦争に使われた時は戊辰戦争だもんで、敵は南からきた。おかげで、宇都宮藩は一揆で混乱していたこともあって、旧幕府軍に一度城を落とされ、その後援軍に来た新政府軍がまた奪還する、と実に短期間で二度落城した。まあ300年後のことは予想できんな……
土塁の上にあがることもできる。エレベーターもある。
土塁の下というか中に資料館があり、そこで観光ボランティアの方から色々な解説を受けられる。無料で、話好きなおじいちゃんという感じの方から宇都宮氏・宇都宮城・二荒山神社などにまつわる様々な話を聞けた。この記事に書いてある話も元ネタはこのお話。
下野宇都宮氏は鎌倉時代にはかなりの勢力を誇っていた。
特に五代宇都宮頼綱は、謀反の疑いをかけられて出家したものの、そこから京都に移って活躍。
法然の最後の弟子になって(直弟子じゃなくて証空を挟んだ孫弟子だというのが通説っぽいが、本当に最後に駆け込んだからすぐに証空に後を任されただけ、ちゃんと直接法然に弟子入りしている、というような話だった)、幕府からも疑いを解かれて三井寺の改修を命じられたりもした。
また歌人としても優れ、藤原定家と親戚関係でもあり親交が深い。小倉百人一首は、頼綱が小倉に住んでいた時、当時襖絵に歌を付けるのが流行っていたから、その歌の選定を定家に依頼したのが始まりとされる。
このあたりから土師器が出土してるのだけど、鎌倉風のろくろ作りのものと、京都風の手びねりのものとが両方出ていて、宇都宮頼綱によって京都文化と鎌倉文化が交わる都市になっていたことを示す。
承久の乱で功も立て、伊予国守護の地位を得た。分家筋を伊予の方にやったもんで、現在日本で一番「宇都宮」という苗字のひとが多い県は愛媛県。
当の宇都宮市は宇都宮さんが少なくて、それというのも、秀吉になぜか怒られた宇都宮国綱が改易を食らった時、宇都宮一族がみな宇都宮から追放されてしまったらしく、現地に残らなかった。血族自体は、国綱の息子が水戸藩に仕えて続いた。
さすがに宇都宮氏は郷土の誇りって感じで、ずいぶん色々話が聞けた。
土塁の内側、かつての本丸は広場のような公園。
本丸御殿を模したらしい清明館という展示施設もあり、こちらでは宇都宮の歴史を展示している。お城がらみのは土塁下の展示館に集められていて、こちらは街の歴史という感じ。第二次大戦の空襲のこととか、もっと大昔の人々の暮らしとかそういうのだった。
人がうじゃうじゃいるけれど、ほとんどポケモンGOらしい。ちょうど私についてくれたボランティアの方、配信間もない日に解説やってたみたいで、テレビの取材がきたとか。
確かにポケストップが多数あるし、ポケモンの湧きもよかった。私がいったときはイーブイがよく出た感じ。
ここなら広いし、歩きスマホでも危なくないからどんどん来てほしい、とのことだったけど、せっかく来たならちょっと宇都宮城や歴史にも興味持ってほしいな、と。
解説ボランティアの方も、こちらから頼むより先に解説するといってきてくれるくらいだったので、時間に余裕をもって行って、たっぷり話してもらうのが吉。
お城の後は、いくつかお寺をめぐりつつ、JR宇都宮駅のほうへ。
宇都宮駅前の田川。宇都宮城が最大の縄張りだったころは、東は田川まであったそう。北は今のパルコあたり、というかそれ以上北にいったら二荒山神社にぶつかる。西は多分日光街道かな。
さて、せっかくだから飛山城にも行ってみたいのだけど、歩くと東に9キロくらい。さすがにきつい。バスはないかと調べるも、本数が少なすぎる。レンタサイクルという手もあったのだけど、時刻が3時半を過ぎていて、とびやま歴史体験館も入るのは4時半まで。さすがにきついので、涙をのんで今回はパス。いやまあタクシー使えばいけるけど。
御城プロジェクトの飛山城は実にいいキャラで、うちでは一番レベルが高いくらい贔屓にしているのだけども。
東京への帰りは、上野東京ライン・湘南新宿ラインが東京までまっすぐ飛んで行く。楽なものだ。
まあ、東京からだと日帰り観光圏ギリギリって感じではあるが、宇都宮城・二荒山神社・餃子の3点はコンパクトな範囲にまとまっていて、短い時間で楽しめる。今回は行ってないが、宇都宮競輪とか宇都宮タワーも徒歩圏かな。
足さえあれば、もう少し広げて飛山城、宇都宮美術館、長岡百穴、県立博物館などもある。いずれこの辺攻めにもう一度来るかも。
今回の写真は全部、Q-S1に02 STANDARD ZOOMに純正フードPH-RBB40.5で撮ってきたが、フードの効果はかなりはっきり体感レベルで嬉しい。
以前サードパーティのフードを付けてみたこともあったけれど、効いてる気がしない、ねじ込みだから邪魔とあまり良いことがなかった。
純正フードは小さいプラ製だから高いという声もあるのだけど、専用形状で効果もばっちり、内側にきっちり反射防止加工がされた丁寧な作りのもの。そう頻々と使い捨てるものでもなし、これなら妥当な値段じゃないかな。
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