バジルは引っ越しました

大多喜(OLYMPUS XZ-2)

投稿者: 無謀庵 / 2016年8月20日 - 23:24 / カテゴリー: カメラ, 徘徊記

御城プロジェクトREにひっかけて城巡りするシリーズ、前回の宇都宮城に続く第二弾である。

今回は、現在実装されている城の中では唯一千葉県にある、大多喜城に行くことにした。(小田喜城もいるが、小田喜城を元に本多忠勝が近代化改築したのが大多喜城なので、およそ同じ城といってよい)

東京からだと宇都宮よりも大多喜のほうが距離は近いのだけど、しかし鉄道の便は雲泥の差。宇都宮だと適当にでかけて来た電車に乗れば成り行きで着けるけど、大多喜となると……

早いのは、外房線で茂原まで来てバスでいくルートのようだけど、私は鉄道乗りつぶしも趣味にしているから、いすみ鉄道を使いたい。

調べてみると、6時起きで出かければ、9時25分には大多喜に着ける、とわかった。辛いというほどではない。1本遅れると11時13分着まで2時間ずれるようだが。

でまあ、当日になってみれば5時に目が覚め、たっぷり余裕を持って出かけることになった。

大原駅

大原駅には8時頃到着。8時58分発の大多喜行きに乗る。

大多喜にいくなら、内房側から小湊鉄道より、外房側からいすみ鉄道がまず確実に早い。

線路は小湊鉄道といすみ鉄道が繋がってはいるのだが、どちらも終着・接続駅の上総中野駅までいく列車が少ない。特に小湊鉄道が顕著で、一日5往復しかない。逆にいすみ鉄道は、全列車が少なくとも大多喜まではいく。

いすみ鉄道側の駅舎は、ほとんどまるごと売店になっている。いすみ鉄道といえば、名物社長さんがあの手この手で人を面白がらせて乗客を集めているローカル鉄道で、駅舎を遊ばせておくわけがない、ってとこだろう。

いすみ鉄道の切符は、各駅までの他、いすみ鉄道の1日乗車券が1000円と、房総横断切符1700円がある。1日乗車券だと小湊鉄道には当然乗れない。房総横断切符は両方乗れるが、途中下車はできるけど折り返すことができない。

今回は抜けるつもりなので、房総横断切符を購入。

まだ時間が小一時間あったので、駅の周りを一周りしてきた。

賀茂神社

賀茂神社があった。特に由緒書きなどなかったが、この辺の氏神さんで、やはり京都の上下賀茂神社の分祀だろう。

のどかな漁港の朝の空気を吸って、ポケモンGOを起動して歩いていたら、なぜかほとんど一箇所にイーブイ3匹コラッタ2匹が固まってたりして、まあともかく汽車が来た。

ムーミン列車

おや、ムーミン列車だ。

まあ、ちょっと観光にしても早めの時間ということもあり、空いていた。観光シーズンになると、満員で乗りきれないほど混雑することもあるらしいけど、そんなに集客してるんだなあ。すごい。

大多喜駅

そんなに長い時間でもなく、大多喜駅へ。

大多喜駅顔看板本多忠勝発泡スチロール像

大多喜は本多忠勝大プッシュ。まあ、これほどのビッグネームがいればさもありなん。

忠勝ほどの猛将が、なんで大多喜に置かれたのかな、とも思ったけれど、館山の里見氏への抑えだったのかな。北条とケンカし続けて、苦しみつつもついに房総を守りぬいた家だし、一応譜代大名ったって小田原征伐くらいからの新しい間柄だから、家康から見て「暴れだすと嫌な相手」くらいの認識はあったのかも。

天然ガス記念館

駅前、いきなり大多喜町天然ガス記念館がある。

関東の人には常識かもだけど、千葉県は天然ガスを産出する、日本には珍しい土地。大多喜町で発見された水溶性ガス田をもとに、関東天然瓦斯開発という会社が立ち上がった。この記念館もその会社による。

無人のパネル展示施設だけど、天然ガスの成り立ちから地層の話、産出量や利用法、醤油蔵の山崎屋が大金はたいて井戸掘ったら濁った塩水が出て、がっかりしてタバコ投げ捨てたら炎上したことでガスだとわかったという歴史やら、色々展示してある。なかなかおもしろい。

天然ガスとしてもメタン99%と純度が高く上質、またガス田の潅水からは実に世界の30%もの埋蔵量があると見られているヨードが出る。ヨード生産は世界1位がチリ、2位が日本だそう。また、ヨードを取った後の潅水からは液体肥料になるかん水フルボ酸も取れるとの話。

明治時代にも、房総では海藻のかじめを焼いて灰からヨードをとる産業が行われていたもので、城山三郎の小説と、ながいのりあきによるコミカライズ「男たちの好日」で知られる。しかしまさか、かじめ焼いてるその地面の下に大量のヨードが眠っているとは思わなかったのだろうなあ……

大多喜町観光本陣

そのとなりに、観光本陣。観光案内所。

小林一茶が大多喜に来たこともあって、「山中に楽しく暮らす武の下」という句を詠んでいったそう。俳句詳しくなくても一茶の句って、肩の力が抜けすぎて外れそうな感じがしてわかりやすいわ。

中では地図や近くの観光地・イベントなどのチラシを配っていたり、物産の販売があったり。小腹空いてたので、マドレーヌを買って、席を借りて食べた。

藤田邦子人形

藤田邦子さんという作家さんの人形が多数。

おたっきー

大多喜町のゆるキャラ・おたっきー。言葉の意味は変遷していく。

オタクという言葉ができた後、趣味はオタクなんだけどDCブランドでファッションもキメてて女性にもモテる人たちのことを、みうらじゅんがオタッキーと呼んだ、それが1989年のことらしい。知らなかった。形容詞化じゃなかったのか……

房総中央鉄道館

天然ガス記念館の脇の道(これがかつての大多喜城大手通だったらしい)を降りて行くと、房総中央鉄道館というのがある。

中は大きな鉄道ジオラマと、多数の古い鉄道用品が展示されている。一部は販売もされていた。もちろん主に房総の鉄道のもので、いすみ鉄道が国鉄木原線だった時代のものなど多く見られた。

私は強いて言っても乗ったことない路線に乗るのが好きな乗り鉄とかろうじて言えなくもない程度だから、設備や用品、鉄道模型はあまりわからんのだけど、詳しい人なら驚くようなものもあるんじゃなかろうか。

あと、なぜかショーケースひとつ、プレデターでいっぱいだった。あれなんだったのかな。

で、観光本陣で貰った地図を見ながら、かつて城下町の街道として賑わったらしいところをぶらぶら歩いて行く。

渡辺家住宅

道沿いに、もう見るからに歴史あるような建物がいくつも並んでいる。

これは国指定重要文化財の渡辺家住宅。1849年に建てられた商家で、この時代の上層商家の規模や造りがよく示される資料だそう。

伊勢幸

2軒先に、酒屋の伊勢幸さん。国の登録有形文化財。廃藩置県のときに大多喜城の大手門部材で建てたと。

釜屋

向かいに土蔵造りの釜屋さん。別に文化財指定とかなくたって、こんなのがいくつもいくつも。

また、昭和レトロ調というかほんとに昭和からそのままらしい建物も複数あって、今となっては十分歴史的。

近くに、中が展示施設になった商い資料館というのもある。古い商家が、二階にまで上がれるようにされて、当時の商売用具などを展示している。(まさかの外観撮り忘れ)

商い資料館二階

商い資料館の二階はこんなの。こんな梁は見たことない気がするけど、なにか特徴があったのかな。

上総袖凧という独特な凧が写ってるのだけど、大多喜には出世凧揚げという風習がある。商家の子供が初節句を迎えると、組合の人が凧を上げて、親に「おめでとうございます」と糸を手渡す。それから凧の糸を切って、飛んでいった凧を人々が追いかける。凧を持って戻ると、それと交換にご祝儀の酒肴が振る舞われ、おめでたいことのおすそ分けをもらえる。

豊乃鶴酒造

豊乃鶴酒造の、これは店舗かな。これまた国の登録有形文化財。

今も酒造りも、販売もやっている。「大多喜城」という銘柄でやっている。

大多喜城・特別純米酒生貯蔵酒を買ってきて、今飲みながらこの記事を書いてる。味はしっかりあるけど、アルコールの当たるような感じがすごく少ないスムーズな飲み口。私こういうタイプ好きだな。美味し。

大屋旅館

大屋旅館。登録有形文化財。まだあるのか……

脇に鳥居が見えてるけど、これが夷隅神社の鳥居。

夷隅神社

夷隅神社拝殿。素盞鳴尊が祭神。創建時期は不明だけど、1041年に再建された記録がある。1587年、戦国武将の正木時尭が再築した。その頃は牛頭天王社だったらしいけど、明治のはじめにイシミ神社(PCじゃ出なさそうな漢字)と改称。今では縁結びの神様らしいけど、その由来はちょっと見当たらず。

右手に車が止まっているけど、そっちの方が空き地になっていて、朝市が開かれて野菜などが売られていた。5・10のつく日に開催で、ちょうど20日だからやってたようだ。

良玄寺

良玄寺。本多忠勝が大多喜に入った時に、菩提寺として了学という僧を読んで開いたお寺。着色本多忠勝画像が伝来していて、それが千葉県指定文化財。

本多家墓所

裏手に忠勝公園とされる小さな庭園と墓地があり、墓地の一番奥には、忠勝・忠勝夫人・忠朝の墓所がある。

忠勝は大多喜から桑名に移封されてそっちで亡くなっていて、桑名にも墓地があってこちらは旧領に分骨した。忠朝(忠勝の次男)は忠勝の次に大多喜を領地にしていたが、大坂の陣で戦死した。天王寺の一心寺に葬られているが、こちらも分骨。忠勝夫人は、どうも忠勝じゃなくて忠朝についてたらしく、忠勝移封後も大多喜に残って、ここで亡くなったそう。

寺も墓も仰々しくなくて、本多忠勝のイメージに似合う。

宍倉邸

順番前後するけど、夷隅神社裏手の宍倉亭。登録有形文化財。

ほんと、ただ歩いて一周するだけなら20分で回れるような小さな町に、重文ひとつに登録有形文化財よっつもあるなんて。そういうステータスだけでなく、景色も雰囲気も独特の感じがあったな。

さて、町を楽しんだので、大多喜城に向かう。

大多喜城薬医門

いすみ鉄道の線路を超えて山手に。地図にしたがって歩いて行くと、なんだか大多喜高校の方へ行った。入っていいんだろうかと心配になったけど、ともかく多分高校の敷地内に、大多喜城薬医門。

大多喜城は、ほとんど跡形もなく破却されてしまっているのだけど、この薬医門が唯一残る建造物。廃藩置県で城を壊す時、城山に水道を開削した大高半左衛門という人に払い下げられていたが、大正15年にその曾孫の方が大多喜高校に寄贈した。その方は、1900年開校の大多喜高校第一期生だそう。

大多喜城遠景

城が見えてきた。

大井戸

そして大多喜城の名物といえば、この大井戸。本多忠勝が城といっしょに作った井戸で、底知らずといわれる。まあ現代技術で深さは調べられていて20メートルらしい。周囲17メートル。当時は井戸車を16個も使っていたとか。

現存する城内井戸としては日本一のもの。御城プロジェクトでも、大多喜城の計略として登場する。

大多喜城天守閣

大多喜高校を横断すると上り坂が見えて、上がっていくと無事、天守へ。

見ての通り、というとなんだけど再建天守。絵図面や、築城当時の天守閣の一般的スタイルなどから考証して建てたそう。

中は千葉県立博物館の大多喜城分館となっている。かつて小田喜城と呼ばれ武田氏が入り、正木氏が入り、そして本多時代から安倍・青山・稲垣・松平と続くお城の歴史とか、城下町にまだ国鉄木原線もなかった時代は人車鉄道が走っていたことなど、あれこれと。

出たら11時半ごろ。渋谷のほうが豪雨だったらしいが、大多喜も結構強い雨が降ってきた。が、10分くらいで止んだ。

駅に戻ると、ちょうど上総中野行きの発車10分前だったので、さっさと乗車。

基本は単行のいすみ鉄道だが、今度は二両編成。いすみ鉄道がよくやってるイベント列車が連結されていて、今日はレストラン車両だったそうだ。その絡みだろうか、なんと車内販売がきてくれた。すごいな。

いすみ鉄道レストラン列車

レストラン車両はキハ28、通常車両はキハ52とあった。

上総中野駅

上総中野駅。なおこれはホーム側から撮った駅舎だけど、なんか内と外が似たようなデザインした駅舎。なんか不思議。

駅前に観光案内図があったのだけど、たけのこ狩りとか、ゴルフ場とか、7km離れた大多喜城とか、だいぶ長い駅間あるはずの隣駅の養老渓谷温泉とか、どうも歩いて行けるようなスポットが見当たらない。

しかし、うっかり大多喜駅で慌てて乗り込んだ車両、平日ダイヤなら小湊鉄道に接続するが、休日だと2時間待ちになる車両だった。

とりあえずあたりを徘徊。

光善寺

光善寺。大きな寺って感じじゃないけど、歴史を感じる山門がある。

ただ、石段が乱れていたり、雨上がりで滑りやすいのにコンクリート舗装の急坂があったり、かなり足元が不安。お寺からさらに上がっていくと、七面山展望台というところに行けるらしいのだけど、転びそうで怖くて断念。

中野山水神社

中野山水神社。中野の村の氏神様だろうと思う。

バス停

神社前のバス停。田舎アニメに出てきそうな雰囲気。

国道465線が折れているところに、「養老渓谷温泉までもうすぐ」というような看板があったんだけど、これ車でもうすぐであって、徒歩だと一時間以上かかるはず。現地でそう思って、今地図で見なおしてもやっぱりそう。

駅すぐのところに、手打ちそばの看板をかけた飲食店があり、そこに入ってざるそばと焼肉丼のセットをいただき、冷房で身体を覚ましつつ1時間くらい過ごした。

それから、上総中野駅の駅舎に、駅ノートがあったりとかもして、それを眺めて時間を潰したり。

なんだかんだで2時間過ごして、やってきた小湊鉄道に乗って帰路へ。

小湊鉄道

小湊鉄道の車両。

これで五井駅まで乗って行ったのだけど、私のスマホはSIMフリーで掴める電波が足りないのか、上総大久保駅から飯給駅あたりの区間で県外になっちゃって困った。ステーションメモリーズのチェックインが抜けそうでヒヤヒヤした……

 

今日のカメラはオリンパスXZ-2だった。借り物。

一時期けっこう欲しかったカメラだったもんだけど、まあ今使ってもなんら不足のないカメラではある。

しかし、なんか結構でかい。特に電源ボタンの位置はこれ、私くらいでかい手ならいいけど、大抵の人には遠すぎるんじゃないかな……

露出補正ダイヤルはちょっと意図せず回りがちだったり、Fn2レバーやらボタンが多めだけど、なんかメニュー項目の多さやら、どの設定がどこにあるかなんかピンとこないとか、なんだろう、これあんまり操作性よくないんじゃないか?と思えてくるような……

まあ、Eシリーズ使ってたりしてオリンパス慣れしてたら違うのかもしれない。

AEの感じも、ちょっと私の感覚からすると、空に引っ張られてアンダーになりすぎるように思えた。まあ露出補正まわしやすいし、引っ張られ方が素直で読みやすいから、ダメとは感じなかったけれど。

多分慣れとか、メーカー間の流儀の違いだろうけれども、PENTAXべったりの私には、微妙に齟齬を感じるカメラであったなあ。性能に文句はないのだけど。

多分中身がほぼ同じ、PENTAX MX-1の方なら、操作性もしっくりくるだろうから、もし自分で買うならこっち。うん。

 


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