バジルは引っ越しました

東京発信州経由大阪行 125ccスクーターと共に (2)

投稿者: 無謀庵 / 2016年10月20日 - 20:21 / カテゴリー: バイク, 徘徊記

新府城からは、次は若神子城に寄ればよかったんだけれども、うっかりして獅子吼城の場所と取り違え、登山になると時間的に不味いなと思い先に進むことに。

次の宿が名古屋あたりになるので、たどり着けないとちょっとまずかった。

で、目的地を遠目に定めてgoogleマップのナビに投入。

サントリー白州蒸溜所

今回の旅程は城跡を中心に攻める……のだけど、道々に白州蒸溜所があって立ち寄らないわけがない。

もちろん運転があるので飲めないが、工場見学(白州蒸溜所or南アルプス天然水)はするけど飲まない選択肢もあり、またミュージアムだけ見学することもできる。時間的に工場見学は難しかったので、ミュージアムへ。

白州蒸溜所ウィスキーミュージアム

山崎も自然あふれるが、白州ももちろん同様。こちらはバードサンクチュアリを作っている。

白札

「醒めよ人! すでに舶来盲信の時代は去れり 酔わずや人 我に國産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」の広告を背に、大将とマッサンが送り出した白札。これがなければ、2000円出せば美味いウィスキーがいくらでも選べる今のような時代は来なかったのだ。

ウィスキーミュージアム展示

サントリー製品や広告のほか、世界各地の酒を製造する設備・装置を展示してみたり。

T型フォード

禁酒法時代にカナダから酒を密輸していたT型フォードトラック、なんてものも。

サントリーウィスキーのミュージアム、というよりは、サントリーによるウィスキー(と世界の酒)の歴史ミュージアム、というくらいの内容。流石にニッカウィスキーにはほとんど触れないが、充実したものだった。

富士桜ポークソテー

昼飯にはちょっと早いけど、勝手のわからない土地で迷ってるうちに入りたい店を決めかねて、結局2時までズレてマクド入ってしまうようなパターンを避けたくて、ここのレストランに入った。

まあちょっと私の金銭感覚ではランチには高い1680円なれど、せっかく白州まで来たんだからたまにはいいもの食べよう、と、富士桜ポークのソテー・きのこソース。

正直、値段はロケーション代だろうと思ってそんなに期待してなかったら、すごい美味い。柔らかいんだけどむやみに柔らかすぎず適度に筋肉質で、筋張った感じはまったくない。これがあるなら白州12年をストレートで一杯欲しいのだけが惜しい。

土産に白州蒸溜所限定のウィスキーを一本買っていった。300mLボトルがあって、たしか1400円だっけ。ウイスキーって、酒強くない私にはそんなに量飲むもんじゃないから、ハーフとかポケットボトルがいいんだよな。

中山道へ

白州から、次の目的地へgoogleナビをセット。

次の目的地は岐阜県に入った中山道沿いになるのだが、ナビのルートはちょっと脇道っぽいところを示す。

諏訪湖を目前として、県道50号線なる山道へ。これが辰野へショートカットする道で、辰野から南下して国道153号三州街道から県道203号。そして、国道361号で権兵衛峠を超えて中山道へ入った。

途中で道の駅大桑に入ったら、御嶽海関の出身地だったらしく、ちょっとプッシュされていた。御嶽山から取った四股名はわかるけど、こんな、日本の中でも特に海から遠いようなところでなんでまた御嶽海にしちゃったのかな……。いや出羽海部屋だから一字拝領だろうけれども……

「開田高原のブルーベリー」なるジュースと、ベーカリーのパンで一休み。ここのパンも、何の気なしに買ったけど美味かったなあ。

土産に、長野県限定のマルスウィスキー「信州」があったのでゲット。

苗木城

で、中山道を下りていって、たどり着いたのは中津川市。苗木城。

ちょっとナビを考えなしに信じて行ったら、城の東側に持ってこられたんだけど、ここからえらく狭い山道を回って西に行かないと城にアプローチできなかった。

さて甲府あたりは武田信玄ゆかりだとかわかりやすい城だけど、苗木城というといささかマイナーなのは否めない。

城主は遠山氏。ちょい南の岩村城にいた遠山氏の一族。岩村の方の遠山景任なら、戦国ファンなら多少名前を聞いているかもしれない。が、まあ、こんな織田・斎藤と武田のあいだにあったらケンカに巻き込まれて苦労する。さしずめ日本のポーランドみたいな土地だ。

苗木城も武田と織田で何度も奪い合ったが、最終的に城主の遠山友政は、苗木を捨てて徳川に従った。

そしてしばしの雌伏の後に友政は、関ヶ原合戦で西軍が強かった東濃での調略というハードなミッションに臨む。苗木城主川尻秀長が軍を率いて京都に出払っているところに乗り込み、放火したりして守備兵を混乱させ、元領主の顔で領民を丸め込んで味方にして城を襲撃。奪還した苗木城を拠点に周辺の支城を制圧、岩村城まで包囲したところで東軍勝利。

この見事な働きで、少ないながらも苗木一万五百石の大名に復帰、苗木藩が設立される。

しかし、「大名」といったら一万石以上の家だけれども、ギリギリ一万石という小大名が城持ちというのは珍しい。わりと小さめの藩でも、城持ちとあればせめて五万石はあるところが多い。

おかげでとにかく貧乏藩だったのだけど、それでも明治まで潰されずに藩を残したのだから、戦国には場所が悪すぎた不運を除けば、遠山氏も大した大名家といっていいだろう。

苗木城遠望

見事に山城なので、けっこう登っていかなきゃいけない。とはいえ、かなり近いところまで車やバイクで登ってこれる。苗木遠山資料館の脇をもう少し上がった先に駐車場あり。

石垣

四角くがっちり築かれた石垣。

苗木城全景

本丸の方の全貌がこんなの。元々岩山だったのを石垣で城に仕立ててある造りで、なんだか城というより要塞ということばが似合うような。

苗木城上から

上から見下ろすと、また実にかっこいい。天空の城、とまでいったら大げさかもだけど、明らかに下界と違う景色。

今は土塀などはまったくなくなっていて、通路や曲輪の石垣がそのまま断崖になっているので、転落事故があってもおかしくない。だけど、それでもロープ張ったりとか鉄柵立てたりとか無粋なことをしていない。今時の安全感覚ならロープ張れという圧力もありそうだけど、やらない中津川市の判断は賞賛したい。

というわけで、見に行くなら絶対落ちないように気をつけて。かなり高い確率で怪我ではすまないし、誰か落ちたらさすがにロープ貼られてしまう。

天守台と井戸

苗木城の井戸

天守台すぐのところに井戸があるのだが、こんな岩山のこんな高いところにあるのに、どういうわけか水が枯れない。未だに水をたたえている。

右手に見える石段のところにかつて、欅づくりの本丸口門があった。

苗木城武器庫跡

本丸下りてすぐの武器蔵・具足蔵は礎石が残っている。

苗木城天守台

そして、遠くからでもちょっと見えてるこの桁組。

苗木城の天守は、岩山の頂上にあるこの巨石の上に建てられていた。

とにかく天然の巨岩がそこらじゅうにあって、整然と組み立てられた石垣と、自然にそこにどーんと居座る岩とが組み合わされながら、この要塞のような城を形成しているのがなんとも浮世離れした格好の良さ。

苗木城天守台

人の大きさと比べて岩のスケールがわかるが、この天守台手前の岩は上部1/3くらいしか見えてない。

苗木城から木曽川

木曽川を眺める。

苗木城には、風変わりな伝説がある。

遠山の殿様が、この異景の石垣の上に土塀と天守閣を築いて、もちろん白漆喰で塗ってたいそう美しい城を造り上げた。

しかし、なぜか一夜明けると漆喰がきれいさっぱり剥がされて、赤土の壁に戻っていた。塗り直してもそうなる。何事だ、と夜も眠らず見張っていたところ、木曽川の龍が夜な夜な現れては火を吹いて漆喰を剥がしていたという。

そういうわけで、苗木城は赤壁城などともいわれる城になった。

木曽川上流方向

これはその、なんだ、一万五百石のド貧乏城持ち大名である遠山氏、漆喰塗るマニーがないからそういう伝説を捏造したんじゃないの、という穿った見方もできるのだが、しかし、織田と武田に挟まれる辛い立場で一度は土地を追われ、しかし城を取り返して明治を迎えるまで存続したのは、赤壁で龍の加護を得ていたのだということにするのが粋ってものだろう。

この景色を眺められる、この格好いい城が今に残るのも龍のおかげ。そういうことにする。

馬洗岩

天守から一段おりたところに、際立って巨大な岩があって、馬洗岩と名付けられている。(ちょっとスケール感ない写真になってしまって私のウデが悪いが、周囲45mあるというでかい岩である)

苗木は何度も攻められている城で、まあ山城の宿命で、包囲されて水を切られることもあった。

そんなとき、このふもとからもよく目立つ巨岩に馬を上がらせ、それに米をかけて、あたかも馬を水で洗う余裕があるかのように見せつけてやった、という話がある。

その武略、「水なんかたっぷりあるぞコノヤロウ」とアピールしちゃうと、逆説的にやっぱ水ないなこいつら、と感づかれる気もするが、しかしまあ無粋はいわず。

 

平日の、午後3時くらいのちょっと遅い時間だったというのに、ガイドツアーで来たらしい集団がいた。意外な人気スポットなのかもしれない。

マイナーな小大名の、正直知名度も高いとは言い難いこの苗木城、しかし私が見たことがある城の中でも屈指の見応え。天然の奇景に人工の石垣を織り合わせた城は圧巻だし、上に上がれば木曽川と山景。龍伝説もあれば、右へ左へ活躍する遠山氏の歴史も面白い。

アクセスもいいとは言い難い場所だけれど、いつか一度は行く価値ある城。

私は時間の関係で寄れなかったのだけど、城の下には苗木遠山資料館という展示施設もある。遠山氏関係のネタはそこでも仕入れられるはず。

名古屋へ

さて、中津川から名古屋へもやっぱり下道だと二時間近くかかってしまうが、ともかくも友人宅へ。

名古屋あたりもまだまだ行ってないところが多くて、乗ってない鉄道路線も多々、城だと清州城も小牧山城もまだ行ってないんだよな。信長公・秀吉ゆかりの土地だけあって、まだまだ掘る所いっぱい。

というか清州城の前を通ったのだけど、日が落ちていたから今回はパス。

この夜は友人と飲み明かして、翌日へ。

 


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