90年代半ばの月刊I/Oについて
中学生から高校まで、月刊I/Oを読んでいた。確か92年から読み始めたんだったかな。
ネットもない時代、都心ならともかく、大阪南端の蛮族の地でコンピューターなんてものに興味を持つ同級生などいなくて、マイコンBASICマガジンとログイン、そしてI/Oは、数少ない情報源だった。(福袋目当てでコンプティークも結構買ってたことはあえて伏せる)
ベーマガは、まだBASICのプログラムリストが掲載されていて、それを打ち込めばゲームが遊べる、他にもゲーム関係の記事など軽い感じの雑誌だった。ログインはPCゲーム雑誌としてより、白黒ページのやりたい放題が楽しくて仕方なかった。
一方I/Oの方は、読んでもわからない難しい技術系の記事やら、コンパックショックなどの業界情報やら、中学生の背伸びしたい感じを満たしてくれる雑誌だった。
いずれも私には思い出深い。
ログインやベーマガに関しては、休刊時にも大騒ぎになり、その後も思い出の雑誌としてしばしば語られているんだけれど、I/Oはどうだろう。
いや、I/Oはまだ刊行されている雑誌だから、懐かしがられないのは当然っちゃ当然なのだけど。
とはいえ、長いことやってるだけに、時代によってかなり内容の変わっている雑誌でもある。世代によって、「I/O」といわれて想像するイメージは相当違いそうだ。
その割には、Wikipediaの「I/O (雑誌)」のページは、80年代の話があるだけで、他の年代に関する記載はほとんどない。私が読んでいた90年代半ばは、すっぽり抜けている。
なので、私が覚えている90年代の月刊I/Oについて、ここに書き記しておこうと思う。正誤は確認しようがないから、相当間違いは多いけど。
どんな雑誌だった?
かつては電話帳みたいに分厚かった雑誌らしいのだけど、私が知っている90年代前半のI/Oは、かなり薄くなっていた。せいぜい1cmくらいじゃなかったか。
紙質とか印刷品質も、あまり良くなかったはず。わら半紙みたいなざらっとした紙質だったような。
版型は、確か90年代はじめごろに一度変更があった。大きさの違うI/Oを見たことがある、はず。あったよな?
それに、変更告知で「A4変型版」を「A4変形版」と誤字していて、それを「変形するんですか?」とツッコミを入れるイラスト投稿があった記憶もある。(ただ、これはログインの話だったかもしれない。記憶が混じって分離しきれない。それと、これは変形が正しいんじゃないかという話は、私にいわないで当時の投稿者へ)
ウィキペディアによれば、2000年に版型変更したときには、B5からA5へ変更していたようだ。もしかすると、私の読んでいる間に、A4変版からB5版に変わっていたのかもしれない。
A4変形版だと大きいように思えるが、プログラムリストなんか誌面にばんばん掲載しているなら、版型小さいと読みづらくて不便だ。
また、私が読んでいた90年代前半のI/Oは、もうプログラムリストはほとんど掲載されていなかった。添付のフロッピーディスクがあったから。なので、プログラムリストのために版型を大きくする必要がなくなったから縮めた、ということなら、理屈が合う。
このへんわりと自信ないので、間違ってたらゴメンってことで。
イラスト投稿とI/Oプラザ
上にちらっと「イラスト投稿があった」と書いたのだけど、I/Oは色々な投稿を集める雑誌で、イラストも受け付けていた。それらは、記事ページの隙間を埋めるように差し込まれていた。
特に「イラスト投稿コーナー」などと銘打って一箇所に集めているんではないのが、特色といえば特色かな。珍しいやり方だけど、私にとっては読み始めた時点でそうだったから、そういうもんだと思っていた。
ま、Pixivを雑誌上でやってる感じ……とまでいうと少し大層(ファンロードみたいな雑誌もあったんだし)だけど、なんだろう、すごく上手いという人ばかりではない、メインの趣味は別だけどたまに絵も描きます、くらいでも結構掲載されるような、そういうところはPixiv的かも。
フロッピーとかCDに、画像ファイルで収録されていたこともあった。いや、フロッピーだと結構容量厳しくなりかねないし、CDになってからだったかな……
さらに、ページ下の余白に、読者からはがきで寄せられた短文を掲載するコーナーがあった。I/Oプラザってコーナー名。このコーナーは、送ればわりと掲載されやすかったこともあって、思い出深く思ってる人も多そうだ。プラザ投稿者でオフ会やって、その話がまた投稿されたりなんてこともあったはず。
今はアイ・オー・データ機器の直販サイトの名前が被ってしまって、検索が難しい。元プラザ投稿者の溜まり場くらい、ネットのどこかにできていてもよさそうなもんだけど……
ちなみに、欄外余白の投稿コーナーは、ベーマガも「OF (オーバーフロー)」って名前でやっていた。当時としてはポピュラーなことだったんだろうか?
プラザは、まさにTwitterをアナログでやってる感じだった。
で、今でもツイッターが炎上するように、投稿ページが炎上したりすることがあった。
I/Oプラザに、「I/Oはイラスト投稿が多すぎる。これじゃコンピュータ雑誌かイラスト投稿誌かわからない」という、現状批判の投稿が載った。以後、イラスト投稿の是非をめぐって炎上。これを投稿した人のペンネームが「たぬき」と実に覚えやすくて、「たぬき論争」なんていってたのを未だに覚えてる。
論争というか、ほんとに今でいう炎上で、イラスター(イラスト投稿者)やそれ以外からの反論の嵐でたぬき氏袋叩き……なんだけど、何しろ雑誌上でのケンカだ。読んで、はがき書いて送って、編集されて、印刷されて書店に並ぶ、というのに2~3ヶ月のラグがある。往復だと半年近い。そんなのどかなペースで、ゆったり燃え続けた。
確か最後のほうで、「きつね」という人から「たぬきのイラスター批判はおかしいと思います。なぜなら云々」という投稿がきた。なぜかみんな「たぬき氏」といってるのに呼び捨てにしてるあたり、こりゃたぬき氏本人だろうなあ、と思ってたら鎮火したんだっけ。
こんな細かい記憶がある程度に、初めて目の前で起こる「炎上」というのが印象深かったんだろうなあ。中学生の私が、Twitterで初めて炎上を見てたら、間違いなく首突っ込んで余計なこといってたと思う。
投稿記事
イラストとプラザの話だけだと、ちょっとした投稿を寄せるだけに見えるけれど、そうでない骨太の投稿もあった。
なんせ、数ページの技術記事が読者投稿だったりするのが当たり前の雑誌で。
今私が思い出せるのは、「余ってるPC-98をプリンタバッファ化する」というのがあった。
当時のプリンターって、印刷してる間はPCが操作できなくなるのが当たり前だった。プリンター自体の速度も遅いから、A4一枚の印刷に数分かかるのをじっと待つ。
流石に辛いので、印刷データだけ受け取って溜めておくバッファーというのは存在した。バッファーにデータを読み込み終えたら印刷終了扱いにして、PCを開放するの。
そのために、専用の自作プログラムを走らせたPC-98を、PCとプリンターの間に挟んで、プリンタバッファーとして働かせるっていう。
今でもたまに、ネットに「え、そんなことやるの?」っていうような高度な技術記事や自作物を載せてる個人サイトやブログがあるけど、それを誌面でやってるのがI/Oだった。
付録のフロッピーディスク
I/Oが誌面にプログラムリストを載せなくなった一因として、わりと早いうちからフロッピーディスクを付録させていた。CD-ROMもかなり早期につけていて、私はちょうどフロッピーからCDに変わるところに遭遇している。
ちなみに、付録していたフロッピーは、90年代前半には5インチだった。3.5インチフロッピーより薄かったから添付しやすいんだけど、運が悪いと書店や輸送中に物理破損したりしてたなぁ。
もっと前にはソノシートつけたこともあるらしいけど、そこまでは見たことない。
フロッピーに収録されるのも、もちろん投稿プログラムが多かった。
実用的なものも多くて、PC-9801のDOS画面にBMPファイルを読みこませる、256色画像なら減色処理をして16色にできる、というようなプログラムも、確かI/Oのフロッピーから入手したんだっけ。
WAVファイルをPC-9801のBEEP音源で強引に再生するプログラムなんかもあったな。さすがにこれは実用性微妙だったけど。
当時はインターネットなんて個人は使わないし、パソコン通信も利用料が高いとかで、フリーウェアの入手先は限られた。直接フロッピーを手渡しで貰うか、そうでなけりゃI/Oの付録ディスクか。
95年くらいだったかな。まだPCの方の対応が追いついているとは言い難かったけど、付録がフロッピーからCD-ROMになった。
初めてついたときは、容量たっぷりだからって暴走みたいな収録内容になってたなぁ。
MIDI打ち込みを伴奏に投稿者自ら歌ってる自作ソングが、CD-ROMの音声トラックに収録されたりとか。これはもう今ニコニコ動画とかでやってるやつを20年先取りしていたね。
で、程なく「下手すぎ、私の彼氏のほうがまだマシ」という女子高生からの投稿がI/Oプラザにたたきつけられた。JK恐ろしいのは今も昔も変わらんで……
まあ、歌はともかく、歌詞が当時のPCマニアなら一発で頭に焼き付くような出来で好きだったなぁ。「ディップスイッチをがちゃがちゃやってくれ、と、わかったフリして答えています」とか「とうとう今月も電話代が15万 そろそろチャットばかりやってちゃダメだよね」とか「合言葉はRAM・ROM・I/Oポート」とか。
たしか他に、「Hello, Sofmap World」をはじめとする、多くは今は亡き有名PCショップのテーマソングが一斉収録されたりもしてたっけな。今となっては逆に価値が高そうな音源だった。ただ、これは別の雑誌だったかもしれないな。ちょっと自信ない。
ともあれ、付録ディスクをもって、I/Oは窓の杜とニコ動(音声だけ)をオフラインに展開していた、といえる。
技術記事
もちろん投稿以外の記事もあった。
最新情報とか技術系の記事は、なにせ私も中学生だから、理解できないことも多かった。他のメディアと比べて高度だったのかとか、そういうこともわからない。背伸び欲は従前に満たしてくれたけれども。
Intelの最新CPUであるi80486について、Intelの人へのインタビュー記事があったのを覚えている。
i486は、初めてCPUキャッシュメモリーが搭載された。今はL3キャッシュまであるけど、486のはL1キャッシュ。Pentium 3くらいの頃は、BIOSでCPUキャッシュ無効設定ができたんだけど、L2はともかくL1キャッシュがないと絶望的なくらい遅くなる。
逆にいえば、L1キャッシュがついたことで、i486って過去のi386より断然速くなっていた。これはもう、私も当時リアルタイムで触れて圧倒的に速くて、未だにi486って「あこがれのハイエンド」みたいなイメージあるくらい。
で、I/Oの人がインテルの人に、「i386にキャッシュを無理矢理のせるようなことはできないんですか?」とか聞いていて、もちろん「無理です」っていわれていた。
この部分の記憶だけだと、果たしてI/Oの記事のレベルは高かったのだろうか、と不安になるんだけどまあ、記憶のカケラでしかないので。
現存のi386搭載PCに対して、外部機器でキャッシュを追加して高速化できないか、という意味かもしれないし、キャッシュというか486系CPU自体を追加して高速化するODPはその後多数販売されたし。
コンパックショックを知ったのもI/O経由のはず。
当時のPCって、一式40万円くらいは当たり前にかかってたんだけど、Compaqが日本上陸とともに、本体10万円、モニター等含めても20万円くらいという破格のプライスを見せつけてきて。
まあ、舶来のパソコンなんてものが田舎の電器屋に入荷されるわけもないから、現物を見ることはなかったんだけど、I/Oの記事で「なんだこの値段」と思って見ていたのだ。私には、当時圧倒的シェアがあったPC-98とソフトの互換性がないから欲しいとは思えなかったけど。
あとは、コンピューター関係の他に、サイエンスの記事も少しあったはず。
なんか、常温核融合の記事があったの。なんかの証拠らしいパラジウム板の写真が載ってて。それ以上は覚えてないんだけど。
コラムページとしては、SF翻訳や「ウィザードリィ日記」で知られる矢野徹さんの「矢野徹の電脳酒場」があった。
これまた内容の記憶はほとんどないけど、なんか天皇制の話してたっけ。「天皇制があると日本は立憲君主制なのか民主制なのかわからない」とかそんな、意味はわからないけど、中学生の背伸びしたい気持ちが記憶力を働かせたような、記憶のカケラがある。
最近電子化された「矢野徹の狂乱酒場1988」は、これはもしかしてI/Oの連載をまとめたやつなのかな。買ってるけどまだ読んでないのだ。
(4/21追記) I/Oの連載ではなくて、角川書店がやってたパソコン通信局「コンプティークBBS」で、矢野さんが「狂乱酒場」と銘打ったボードを開いていたのを、ログの一部を抜粋してまとめたものでした。
1988年のことだけあって、昭和天皇の病状を伝える報道が多かった時期でもあり、「狂乱酒場」でもかなり話題になっていた。それにともなって天皇制の話やら、政治ネタも少なからず。矢野さんは従軍していた世代なので戦中戦後の話もあり、ソウルオリンピックも少し。
もちろん半分くらいは当時のPCトーク(NOS=ノストラダムスとか何年ぶりに聞いたんだろう)だけど、人々の生の会話から1988年の記憶が蘇ってくるようで、また、パソコン通信独特の文体というか、そんなのも懐かしい。
ログそのままっぽいので当時の物事についての脚注がなく、ちょっと楽しむには予備知識が必要そうだけど、90年ぐらいからパソコンを触っていた世代なら色々面白いネタを拾えると思う。
野々村竈猫さん
投稿イラストとは別に、野々村竈猫さんという方の、ちょっと気の利いた一コマ漫画が掲載されていた。
キャラクターはみんな、犬猫がちょっとだけ人間っぽくなった感じで。
ネタは、「部屋の電気の紐を引くと、点灯とともにピポと鳴る」とか、「ファイルを誤って削除したら女神が現れ、あなたが削除したのは、このアルダスページメーカーですか? それとも……」とか、説明じゃ伝わらないけど、あ、上手い、座布団一枚、って感じの。
あれ好きだったなぁ。
一度だけ、野々村竈猫さんの個人サイトが作られていたのを見つけたことがあったけれど、あいにくもう見当たらない。
電気街マップ
読者が秋葉原や日本橋でんでんタウン、あるいは大須の電気街を歩いて、ショップで見つけたお買い得な商品や、出物の中古品などの情報をまとめて投稿する、というコーナーもあった。
重ねていうが、投稿して掲載されるのは、早くても翌々月発売の号だった。よって、誌面に載っているのは2ヶ月前の情報。
果たして実用的な意味がどれほどあるコーナーだったか謎なのだけど、しかしまあ、中古パソコンの相場感とか、そういうものは得られた。
でんでんタウンまで行って帰ったら小遣いが溶ける中学生にとっては、電気街というものを憧れながら覗き見る窓だったな。
これはまあ、ネットでいえば日本橋ショップヘッドラインあたりだろうか。
まとめ
つらつらと記憶を吐き出してきたのだけど、こうして思い出してみると、I/Oがアナログに誌面でやっていたことが、今インターネットで展開されている多くのサービスと、内容が重なる。
上に書いてないけど、個人売買コーナーもあったから、これはヤフオクみたいなもんだ。
ページの中に、Pixivがあり、Twitterがあり、マニアの個人サイトがあり、窓の杜があり、ニコ動があり、ヤフオクがある、それがI/Oだった。
I/Oはさまざまな投稿が集まる雑誌だったけど、今のネットサービスも、ユーザーの投稿で成り立っているものが多いのだから、人のやることや楽しみは昔も今も変わらない。
90年代半ばの誌面再編成
で、そんな楽しかったI/Oマガジンも、やっぱり時代の流れか、内容を変更することになった。
Computer Fan創刊
94年だったかな、I/Oからプログラミングなどの記事を分離独立させた「Computer Fan」という雑誌をつくる、ときた。
それが刊行され、読み比べた結果、私はI/Oじゃなくてこっちを読むことにした。
プログラミングでわからないことの質問を投稿し、回答してもらえるコーナーが作られたりとかして、満足できる内容だった。
定期購読を申し込んで、毎月発売日には届くようにした。雑誌の定期購読なんてやったの初めてだったな。
この雑誌、2年位は続いた。
Windows Fan創刊
しかしまあ、なにせ95年ごろという、MS-DOSからWindowsへと地殻変動のように変わっていく時期。プログラミングもなにも、ソフトウェアや開発環境を走らせるOSから大変革していた時代だ。そんな時にプログラミング雑誌というのは難しかったのだろうか、再度方向転換になった。
Computer Fanは終わり、代わりにWindows Fanを創刊する、と。
Computer Fanの定期購読の残り期間は、返金するか、そのままWindows Fanの定期購読に移行できるというから、そのままWindows Fanを届けてもらった。
それで、Windowsプログラミングに絞った雑誌が届くというならよかったんだけど、この雑誌はかなり初心者向けに振った内容だった。
別にそういう雑誌に意義がないとはいわない(まだネットの普及率が低く、Googleもない時代だから、今以上に初心者雑誌は大事だった)けれど、Computer Fanの代替としてはどうしたって内容が足りない。
というか、少ない小遣い必死で割いて申し込んだ定期購読こんなにされて納得行くか、とかなり憤ってもいた。さすがに20年経ったら笑い話だけれど。
がっかりしちゃって、結局定期購読切れとともに、I/O系列の雑誌を読むのはやめてしまった。
それから
別れ際はあまりよくなかったけれど、それでもI/Oといったら、マニアがわちゃわちゃ集まって、今でもネットでやってるようなことを紙の上に広げたような、まったく楽しくて面白いものだったのは確かだ。
2000年にI/Oが、ゲームラボみたいなアングラ情報誌に様変わりしちゃったときには、なんだってそんな下品なことをあのI/Oの看板でやるんだよ、って思っちゃって、いい気しなかったなぁ。
Wikipediaによれば、あのアングラ路線も3年で止めて自作PC誌になったらしい。そして今は、また硬派な雑誌に帰ってる。
なにしろ1976年創刊、私より年上という稀有なパソコン雑誌。
私だって、たまたまWikipediaでスルーされてるほんの数年を読んだだけに過ぎない。読者であっても世代が変われば、「俺の思ってるI/O」というイメージも随分違うんだろう。
変貌を繰り返しながら、今年で40年。今ちょうど読んでる雑誌もないし、久しぶりに買って来てみようか。