前橋
今週も城を訪ねるべく、ちょっと遠いが思い切って前橋に飛んでみた。
前橋城、というより、私のような関西人には戦国歴史ゲームでよく見る厩橋城の方が馴染みがある。今の姿はどうなっているだろうか。
上野駅の、初めて使う特急ホームで、名前も知らない特急草津に乗って一路。なぜか車内アナウンスで草津のツが濁っていたのだけど、琵琶湖畔の草津は濁らないけど温泉の草津は濁るのかなー、と思ってたけど単に車掌さんの癖っぽい。
新前橋で下りて、そこから歩いてもよさそうな距離だったけど、せっかくだから両毛線にひと駅。
なんかモノも塗装も懐かしい感じの車両がいっぱいの新前橋駅。
「お前はまだグンマを知らない」によると、両毛線はいつもドアが半自動扱いだそうで、この真夏が終わったばかりの今でもそうだった。
関西には半自動のドアなんて、東日本大震災の節電の頃までひとつもなかった。私も、2008年に富山に行って城端線に乗るときに初めて遭遇して、ホームにいるのにドアが閉まってるのは回送車両だと思い込んで混乱したものだった。2011年頃から阪和線あたりに半自動扱いが導入された時は、しつこいくらいのアナウンスにもかかわらず大部分の人が混乱していた。
ひと駅行ったら前橋駅。
駅はきれいなのだが、なんか寂れた感じ。元々市街地から駅が離れているし、路線が両毛線だという力弱さもあってか、利用者は群馬県内でも宇都宮や水戸より少ないらしい。
駅前のエキータ前橋なるショッピングセンターに入ってみたら、うっ。
1階は数点のテナントと地元物産店でそれなりに埋まっていたけど、2階はガラガラで、居酒屋とカラオケ、それからどう見ても空いてる場所に余ってる古いゲーム機持ってきて並べた感じで造られたゲームコーナー。
大丈夫かなこのありさま。「エキータ前橋」でぐぐったら、地元のひとたちの嘆きと呆れの声が山程出てくるんだけど、ほんと大丈夫かな。
で、ここには昼飯食いに入ったのだが、居酒屋がランチもやってたのでそこで。前橋は豚肉の町でもあるそうで、豚丼を頼んでみた。隠し味にカレー粉を忍ばせてあるっぽい、ちょっと意外ながら美味。ただ、メニューに「エキータ従業員は20%引き」とか一般客に見せるべきでない文言があった気がするのだけど、もしかしてこの店はそれで持ってるのかな。
さて、離れた市街地へは、けやきがたくさん植樹された綺麗な道がある。県庁まで208本。
それから、街のいろんなところに彫刻やらアートオブジェやら詩碑が置かれている。アートでまちおこし、というような類のやつかと思うけど、結構がっつりやってる感じ。ほんとにそこらじゅうにある。
前橋八幡宮があったので参拝。
境内に古墳があって、伯牙弾琴鏡なる銅鏡が出土している。
中国の春秋時代、伯牙という者が琴を弾くと、友人の鍾子期はその調べに託されたイメージをたちどころに見抜いた。あまりにもよい聞き手を得た伯牙は、ひたすら腕を上げて名人といわれるようになったが、鍾子期は早くに亡くなってしまう。最良の聞き手を失った伯牙は、琴を打ち壊して二度と弾くことはなかった。
伯牙がモチーフの銅鏡はちょくちょくあって、奈良時代に作られたものは日本に12枚。その1枚がこの八幡宮にある。
それから、かつて前橋の地を収めてきた領主からの、寄進状などの書状がまとまって残っていて、北条高広や平岩親吉、酒井重忠などの統治期や八幡宮との関係がわかる資料として文化財に指定されている。
つまり結構な歴史がある重要な神社なのだけど、なんか、そういう有り難みをアピールするのが下手な神社やなー、という感じがした。このコンクリート造りの拝殿といい、敷地内っぽいのにただの空き地みたいな公園にしてるとこといい、なんかどうも、もったいない。
国道50号線は東国文化歴史街道と名付けられていて、道沿いに歴史を示す案内碑がいくつかある。本町二丁目交差点には、かつて前橋が生糸産業で栄えた頃の改所跡地を示すものがあった。
上毛カルタにも「県都前橋いとのまち」と読まれているらしくて、富岡製糸場より前に、後に富岡製糸場長になる速水堅曹という人が前橋に製糸場を作っていたそうだ。
近くには、国登録有形文化財・旧勝山社煉瓦蔵を利用したレストランがある。
製糸会社の勝山社が建てた煉瓦蔵が、その後も銀行やらに使われ続けて未だに残っている。元々倉庫だというのに結構意匠に工夫がある感じで、明治のハイカラな蔵だったんだろな。
それからアーツ前橋なる美術館を覗いたが、明らかに現代アートの展示だったのでパス。現代アートわからんのだ私。
馬場川通り、という小川の脇の通りを歩いて行く。
船つなぎ石。馬場川は小川だから船は通らん気がしたが、利根川はしょっちゅう流れを変えまくって暴れ倒していたので、ここに渡し船が必要だった時期もあるらしい。説明書きには「移した」とあるけど、元の中央通のえびす坂ってすぐ近くっぽい。
ただちょっと気になるのが、植えてる花が伸びすぎて船つなぎ石が見えん。こういう傾向、街中に散在するアート作品に対してもちょくちょく見られた。
で、前橋が誇る偉人といえば萩原朔太郎。
開業医の息子として生まれた朔太郎、その医院はここにあった。今はマンション建ってる。
1968年まで医院の建物も残っていたので、有志が建物の離れ・書斎・土蔵を敷島公園に移設して保存している。この碑も、元々萩原家の門柱だったらしい。
生家に沿って西に行く道は、朔太郎通りと名付けられている。道沿いに、萩原朔太郎賞を受賞した詩が碑になって建てられている。やっぱり私は詩はわからんという思いを深めてしまった気がするけど。
そして群馬県庁。去年は大河ドラマ「花燃ゆ」があったから、写真右手の昭和庁舎を大河ドラマ館にしていたそう。左手の高い本庁舎には展望台がある。
で、ここが前橋城本丸御殿だったところ。
福井県庁も福井城の本丸にあるんだけど、あっちは堀も石垣も残った郭らしい姿のままで庁舎が建っている。こっちは、城の面影はないな……
向かいの群馬会館も、昭和5年建造の群馬県初の公会堂。
ちょうど群馬会館あたりは二の丸。地裁のあたりが三の丸。
数少ない、遺構らしい遺構として残っている土塁。本丸北東側あたり。今は道路になってるあたりは堀だったっぽい。
で、土塁の北端あたりに城跡の碑があるらしいのだけど……通路が草で埋まってとても入れないぞ……。やっぱなんか、前橋はちょっとメンテが足りない気がする。
ちなみに御城プロジェクト的には、石倉城→厩橋城→前橋城と成長するイメージだけど、石倉城はやや場所的にズレる。石倉城の頃は、利根川の対岸にあった。今も対岸の、前橋市石倉町5-8にある公園に石倉城跡の碑が建っているそうだ。
前橋城の北側は、広々とした公園になっている。ここはメンテも行き届いて綺麗。
さちの池、という人工池、空から見ると群馬県の形をしていて、中の島は前橋市の形だとか。
で、臨江閣に来たら工事中。ヅガン。なんか私よく工事中に来てしまうな……
臨江閣は、明治17年に群馬県令・楫取素彦によって迎賓館として建てられた。築百年を過ぎるふるさで、耐震補強とかもあって現在修繕中。去年やるつもりだったら「花燃ゆ」がきちゃったから慌てて延期したとか。
東にはるなぱあくという遊園地があるのだが、「日本一なつかしい遊園地」とかいって何かと思えば、1954年のオープン以来、特に近代化改修されずにやってるらしい。
この電動木馬、1954年製で実に60年以上働き続けてるらしく、2007年に国の登録有形文化財に指定されている。営業中の遊園地で稼働中の遊具が登録有形文化財。ばかな。
他の遊具もなんとも小さくて、でも多分私が子供の頃、バブル直前くらいに見ていた遊園地もこんな感じだったんだろう、っていう懐かしさ。関西だと生駒山上遊園地だけど、あの下界を離れた山奥と違って、前橋のまちなかにあってこれだからなんかすごい。
それから園内にもうひとつ国指定登録有形文化財があり、この灯籠型のラジオ塔。個人ではラジオを持つのが難しかった1933年、公共にラジオを流すべく建てられた。当時のNHK前橋放送局のコールサインJOBGのパネルが前にかかっている。(すぐ前に柵があって前から写真撮れん)
ここから、市街地の方へ戻っていく。聖マッテア教会から東へ、おそらく銀座通という通りを東へ。途中でスズランデパートなる百貨店もあった。
……しかしなんだろう、たまたま寂れたところを通ったのかもしれないが、ちょっと、これは、かなりの衰退を感じさせる雰囲気が。個人商店がいっぱい、まあそれなりに開いてる店も多いのだけど、なんかおばちゃん向けの服屋とか靴屋とかそういう、別に頑張って儲けようって感じでもない店が多く、どうもこう、企業のチェーン店が収益を見込めなくて入ってこないんじゃないかという気がしてくる。
多分バブルくらいまでは賑わいがあったんだろうなあ、という感じもあるんだけど、うーん。そういう過去の賑わいがある気がするから余計落ち込んで見えるのかな。
オリオン通りを北上して、突き当りにくると熊野神社があった。
今となっては小さな神社だけれど、かつてはこの辺は熊野の杜と呼ばれる森林が広がっていたそう。出雲の八束熊野神社から分祀したといわれているが、どれくらい前かは不明。江戸時代くらいからここらの鎮守扱いになっていったそうで、「恩熊野様」と拝まれていたのが「おくまんさま」と呼ばれて親しまれる、とのこと。
で、前橋文学館へ。
展示エリアはこぢんまりしていて、やっぱり圧倒的に朔太郎。私は詩はわからぬ人間なのだけど、朔太郎は結構な写真好きだったらしくて、そこに共感。しかもステレオ写真が大好きだったらしくて、そのヒネったもん好きなところになおさら共感。他にマンドリンなんかもやってたとか。
医者の息子のブルジョアでイケメンで写真好きの詩人。漫画か。
文学館も9月いっぱいで移転工事に入るらしくて、もう少し遅れたら門前払いを食うところだった。
広瀬川に沿って歩いて、上毛鉄道の中央前橋駅に向かっていく。
この川沿いにもアートオブジェがいろいろあるんだけど、この写真奥のバネみたいなやつ。よく見るとゆっくり回転している。それはいいんだけども、バネの端が浸かっている小川に藻が繁殖して水面に膜を張っていて、回るバネの端が藻をすくい上げてはオブジェに巻きつけていく、という、多分アート的な意図と外れたアクションを見せていた。
なんかその、結局自然の前ではアートの意味なんて蹴散らされるものだ、とかそういう意図でないのなら、もうちょっとメンテすべきじゃないかな、と……
どうもこうも、街をよくしようと行動はしているものの、何かと空回りしてしまってるような印象を受けてしまう街だなあ。
上毛電鉄上毛線、中央前橋駅。そして鉄道むすめは気がつけば現れているのだ。
顔見たら相当懐かしい感じかと思ったけど、ステンレスっぽいしそこまで古いわけでもないのかな。上毛電鉄700型というらしい。
切符買おうとしたら出発時刻で、後払いの乗車証明書貰って慌てて飛び乗った。(写真は降車後)
どういうルートで東京に戻るかと思ってたけど、とりあえず上毛線で西桐生まで。両毛線で桐生から伊勢崎へ行って、東武伊勢崎線で、となった。
ま、城を見に行ったつもりが城がなかった感じの旅だったが、これはこれでまた楽しからずや。
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