バジルは引っ越しました

映画「FAKE」

投稿者: 無謀庵 / 2016年6月18日 - 11:50 / カテゴリー: 映画

佐村河内守の密着ドキュメンタリー「FAKE」を観てきた。

例によってネタバレはする。「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分間。」とキャッチコピーだけど、まあ、そこも言う。

で、何しろ私は映画を見たらほとんど確実に面白いといって出てくる、今までたった一作しか例外がないくらい甘い人間なので、「FAKE」ももちろん面白かった。

しかし、どう面白かったというもんだろう。

新垣隆さんは、なんというか、風貌と、音楽一筋で生きてきたちょっと不器用な感じが噛み合って、案外バラエティのいじりにフィットしちゃってあんなキャラになっちゃって。

佐村河内さんはといえば、まー、上手くいってる時は大物芸術家っぽかったんだろうけど、騒動で雰囲気が剥がれちゃった途端に、なんとも言えぬ胡散臭さを醸し出す、そりゃテレビが叩きたがるような雰囲気をまとってしまっていたとは思う。

この映画の中の佐村河内さんは、不思議とファニーなところがあった。観客もしばしば笑いに包まれていた。

うさんくさい、とみんなに思われている、ヒゲにウェービーなロングヘア、そしてサングラスという相変わらずのいでたちの大男が、なんだろう、失笑というほど悪意も持てないような、かわいらしいところを見せて笑わせてくる。

奥さんの作るずいぶんでっかいハンバーグを前にして、佐村河内さん、手を付けずに黙々と豆乳飲んでる。「手を付けてないけどどうしたの」と聞かれると、何か苦悩してるのかと思ったら「豆乳大好きなんです。いつも1リットル飲む」という。毎回グラスにすりきり一杯まで注いで飲む細かさがなんともかわいい。

物腰も別に変にふてぶてしくもない。あんなことあったらそれくらいは固くはなるよな、というだけ。

かといって、「やっぱこの人どう見ても普通のいい人じゃないか」とまでは思えないような姿だった。どこか演技めいてるような、芸術家だからといわれればそうかもしれないが、なにかこう。嫌な奴でもなさそう、でも信用してもいいとは思えない。なら耳のことといい音楽のことといいどこまで本当なんだ。

佐村河内さんが何かするたびに、ボロを出してしまうんじゃないか、という心配が発生してしまって、しょっちゅう固唾を呑む。

そしてこっちが緊張して見てるのに、取材に対しての説明がヒートアップして、机をドカドカと激しくトルコ行進曲のリズムで叩き、さらにはボイスパーカッションを奏で始めたりと、そのアクションにかなりの必死感が伴う。必要な説明としてやってるとはいえ、あの顔で口開いてほっぺた叩いてメロディ鳴らす絵面の面白さに釣られてつい笑ってしまう。

 

ところで、映画で軽く触れられてたのをもう少し確認したところ、別に金銭とか著作権とかでは、別に両氏の間でトラブルにはなってないそう。相応の報酬を得てゴーストをやったから、曲の著作権は佐村河内さんの所属でいい、というような話になって、争っていない。

そのせいだろうか、佐村河内さんは「本当は聞こえてる」と攻撃されることに反発していて、「自分は感音性難聴である」という証明をしたがる。誰と話す時もそこから入る感じで、医師の診断書も出して。

上のトルコ行進曲については、「メロディが歪んで聞き取れなくても、リズムだけで有名な曲ならわかる」という旨の説明だし、ボイスパーカッションも確か、かつて聞こえていた頃に身についているメロディはわかるし再現もできる、という説明だったか。つまり耳のこととなるとそこまで強く訴える。

まあ、かつては全聾の作曲家といってたのに、「障害者手帳が出るほどではないが感音性難聴なのは科学的な検査で出ている」という主張に後退してるのだけれど。

そこは信じていいんだろうか。どうだろうか。

 

で、彼に対する厳しい指摘は、わざわざアメリカから取材にやってきた外国人記者がビシバシやっていく。

「なんで18年もやってて楽譜の読み方も覚えなかったんだ」、うん、なんでだろう。あんまりはっきり応えられなかった。

そういう、見てて疑問に思うようなことは、ざっくり外国記者が刺していって、そして佐村河内さんは有効な解答ができなかった。

悲しきかな佐村河内さん、やっぱこの人には作曲なんてできないのか。やっぱりここまでの振る舞いにも、なんとなくウソっぽいところとか、隠してる、ごまかしてる人のやるような感じとかあったしな。

 

この辺からおそらくラスト12分にかかるのだけど、外国記者に突っ込まれて弱った佐村河内さんに森達也監督、「作曲やってみなよ、メロディが溢れてるでしょ」とささやく。

すると次に来た時置かれていたシンセサイザー。そして佐村河内さんが曲を作ってるじゃないか。

で、なんと一曲仕上げてしまい、それがこの映画のエンディングテーマのように流れる。

 

で、この曲は、やっぱり佐村河内さんは本物なのではないか、と思わせるクオリティであったか、あるいは全然大したものとも思えない代物であったか。本物だと誰もが納得するものであれば、音楽家・佐村河内守の復活への第一歩になるかもしれん。

私が聞いた感想では、ありありと情景が浮かぶような曲ではあった。

西洋ファンタジー風のRPGで、大きく荘厳な教会、そこでメインキャラがひとり死んで脱落するシーン。

ただその、なんだろう、あまりにもモロにそれが浮かびすぎるというのは、月並みな造りの曲なんじゃなかろうか、とも思う。浮かんでくるシーンもまた月並みというか、はいここが盛り上がるとこですよー、みたいな。

現代音楽の世界は全然知らないから、そっちで通用するかはまったくわからん。正直なことをいえば、ちょっとこの程度じゃ通用しない世界であってほしいかな……。

RPGっぽい曲だったし、ゲームやアニメのBGMだったら、といっても、こっちも最近随分上等になったしなあ。

 

で、最後にちょっと意外なオチがついて映画が終わる。

まー、あの時の佐村河内さんは、世間的にいくらボロクソに叩いてもいい存在になってたから、あの扱いには不当な部分もあったろうとは思う。

しかし、どこまでが不当だったかのラインを、大きく動かせるほどの事実も特になかった感じ。明確だったのは、被爆二世というのが事実であること、くらいじゃなかろうか。

元々佐村河内さんバッシングに興味がなかったから、わりとフラットに見てたつもりではあるけれど、別にこの一見にまつわる目線がひっくり返った、というようなことはなかった。

無論、別に無意味な映画だったとも思わない。いろんな出来事は見られたし、その出来事が判断を覆す内容ではなかっただけ。そして佐村河内さんがちょっとファニーだったから、それで十分面白い。


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